top> 君の手を、君の温度を

 

 
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生きてる人はあったかい。
死んでる人は冷たい。
それは誰もがあたりまえに知ってることで。

 

「熱っ!」

短い悲鳴と重なって、物が落ちていく音。

「なるほどくん!?」

あたしは慌ててキッチンへと向かう。そこにはシャツを腕まくりして、呆然と立ち尽くすなるほどくんがいた。
その手には、やかんの蓋が握られていて。

「コーヒーならあたしが入れるよ?何?こぼしたの?」
「………やけどしたかも」
「ええっ!?何、ぼーっとしてるの!」

子供をしかりつけるみたいな勢いであたしはなるほどくんの腕を掴むと、蛇口の下に導く。

「…やだ、冷たいよ」
「でも冷やさなきゃ、駄目なの!」

勢いよく流れ出した水を、なるほどくんの手に浴びせる。
言葉だけ抵抗した後、なるほどくんはおとなしくあたしの指示に従った。
あたしは床に零れた水を拭きながら、ちらりと様子を伺う。
なるほどくんはただ、流れる水を見つめて立ち尽くしていた。

「……どうしたの、なるほどくん。さっきの裁判も、何かおかしかったよ?」
「そうかな……」

あたしの問いかけにも、ぼんやりとした言葉だけ返す。
びしびし矛盾を叩きつけて叫びまくって結局、最後には無罪を勝ち取ったわけだけど…
法廷に立つ、その横顔が時々うつろで。あたしは内心、ひやひやしていたのだ。

「手、冷たくなっちゃったな…」

耳に届いた小さな呟きに、あたしは顔を上げる。 なるほどくんは俯いたまま、手で水に触れていた。

「それじゃあ、あたし帰るね」

ソファから立ち上がり、あたしはなるほどくんを振り返った。
デスクにつき、書類を目の前にしたなるほどくんは、顔を上げてあたしを見た。

「うん。また明日ね」

その声も、元気がない。 あたしはドアにむけていた身体を動かし、なるほどくんの元へと引き返した。

「忘れ物?」
「ううん」

デスクの前にたどり着いたあたしは首を振る。なんとなく、帰るのがためらわれた。
怪訝な顔をしてあたしの言葉を待っていた、なるほどくんの右手に気がつく。

「手、大丈夫だった?」
「うん…たいしたことないよ」

自分でちらりと観察した後、立っているあたしに手を差し出した。
見た感じ、何ともないみたいだ。指先でなるほどくんの手に触れ、驚いた。

「真宵ちゃん?」
「なるほどくん?」

なぜか、彼まで驚いた顔をしてあたしの名前を呼んだ。

「真宵ちゃん、手が冷たいよ」

そしてすこし悲しそうな顔で、そう言う。自分で自分の手を握り締めて。
あたしは彼のその言葉にも驚いてしまって、思わず大声で言い返す。

「違うよ!なるほどくんの手が熱いんだよ!」
「うん…本当に?」
「熱あるんじゃないの?頭痛くない?」
「ううん…」

ちょっとごめんね、と言いつつ彼の額に手を伸ばす。ほんの少し緊張したけど、今はそれどころじゃない。
髪を上げて露出させた彼の額は、案の定とても熱かった。

「結構あるみたいだよ!どうして言わないの!」
「……自分じゃわかんなかった」
「もう!」

体調の悪い人に説教してもしょうがない。あたしは言葉のかわりにため息をひとつついた。
そしてなるほどくんの手にしていた書類を取り上げる。目を丸くした彼に、指を差して命令した。

「仕事はいいから!寝てて!あたし、薬買ってくるから」
「大丈夫だよ」

後から追いかけてくるなるほどくんの返事は聞かないことにして、あたしは急いで階段を駆け下りた。

適当な薬と、コンビニで飲み物とかゼリーとか買って戻ると、なるほどくんはソファに身体を投げ出していた。
やっぱりつらかったらしい。あたしに気がつくと、無理に笑って見せる。

「ごめん、真宵ちゃん。ありがとう、今日はもう帰っていいよ」

そして、ふらふらしながら身体を起こそうとする。
あたしは慌てて駆け寄ると、肩を押して彼を再び横たわらせた。

「いいから寝てて」

冷やすためのタオルを掴み、キッチンへと向かう。
なるほどくんを振り返ると、 彼は目を閉じてぐったりとしていた。
幸い事務所には人が泊まれるように寝具がひと組だけ用意してある。
あたしは一晩の睡眠をあきらめることにした。今日は、ここに残ろう。
さすがになるほどくんの家まで行って看病するのはためらわれた。でも、事務所ならいいだろう。

「真宵ちゃん……ぼく、帰らないと」
「駄目。今日はここに泊まって。あたしが看病するから」
「嫌だ」

はっきりとした拒絶の声が響いて、あたしは驚いて振り返った。

「ここは、いやだ……」

熱が上がってきたのだろう。意識が朦朧とした様子で、それでもなるほどくんは首を振る。

「ここだと眠れない……」
「え?なんで?」
「夢見るから」

その言葉を最後に、なるほどくんは沈黙する。
眉を寄せて覗き込むと、熱い息を吐きながら 目を閉じていた。
言ってるそばから、眠りに落ちてしまったらしい。

「夢見るってことは、寝てるってことじゃない……」

時計の針はぐるぐると回り、気がつけば午前0時を過ぎていた。
彼の睡眠を邪魔しないよう、テレビをつけることすらできなかったけど、あたしは退屈ではなかった。
なるほどくんの寝顔を観察したり、そっとギザギザの髪を撫でてみたり…
いつもはできない悪戯を彼にするのはなかなか楽しいことだった。
…だけど、さすがに睡魔には勝てない。
音を立てないようキッチンに向かい手早くコーヒーを入れ、ソファのある事務室に戻ってくると。
横になった姿勢と額の上のタオルはそのままで、なるほどくんの瞳がぽっかりと開いていた。
あたしが側に座ると、まるで子供のような顔でこちらを見つめる。

「怖い夢でも見た?」

からかい半分でそう尋ねると、なるほどくんは首を振った。

「昔の夢。この事務所の……」

そこまで言って、言葉を止めた。
聞かずとも、彼の気持ちがわかった気がした。怖い夢なんて、見ない。
怖いのは以前、当たり前に存在していた日常で。隣で笑う人、そしてそれに答える自分。
それが永遠に失われた現在。

この事務所にはもう、お姉ちゃんはいない。

額に置かれたタオルがずれて、なるほどくんの目を隠した。
なぜだか泣きそうになって、あたしは慌てて明るい声を張り上げた。

「病気の時って淋しくなるよね。あたし、手握ってあげようか?」

タオルを元に戻してあげて、彼に笑いかける。
でも、その後。 あたしは動けなくなってしまった。
どこかうつろげな表情でなるほどくんはあたしを見返す。そして、あたしに手を伸ばした。

「真宵ちゃん、お願い。手、握ってよ」

あたしは馬鹿みたいに、口を開けてなるほどくんを見つめる。

「お願い」

いつものコピーを頼むみたいに軽く様子で、なるほどくんは手をぴらぴらと振った。

「……わかった」

自分で言っといて、あたしはものすごく汗をかきながらそれを握った。
重なる手と手。
じんわりと体温が伝わってくる。 あったかい、大きな手のひら。 ばくばくと脈打つ心臓がうるさい。
なるほどくんの手に包まれたあたしの手は、いつもより小さく見えるような気がした。

「やっぱり、冷たい」

そう言ってなるほどくんは薄く笑った。

「なるほどくんが熱あるから、あたしの手が冷たく感じるだけだよ」
「そうかな……」

あたしは顔を赤くしながら、何度も頷いてみせた。
手のひらに大量発生してる汗が、彼に気付かれませんように、と心の中で祈りながら。
そんなあたしに全く気がつかない様子で、なるほどくんは再び目を閉じた。そして、とても小さな声で呟く。

「冷たい……」
「寒いの?」
「…冷たいんだ」

思い出した。そういえば、あの時も夜だった。
あたしが来た時、お姉ちゃんはまだ温かかった……
なるほどくんは、冷たくなってしまった お姉ちゃんの身体に触れたんだろうか?
温かい肌が急激に冷めていくあの悲しみを今、思い出しているの?
身をよじり、あたしの手にしがみつくようにして。

「冷たいよ……」

なるほどくんは微かに呟いた。
半分夢に入りかけたなるほどくんの呟きは、あたしを半泣きにさせるには十分だった。

午前6時。
結局、一睡もできないままあたしは愛しい彼と一晩を過ごした。
名残惜しく思いつつ、なるほどくんの手のひらから自分の手を引き出す。
眠気でふらふらする頭を振って、彼の額に触れてみた。どうやら熱は下がったみたいだ。
穏やかな体温が伝わってくる。 あたしはほっと、安堵のため息をついた。
するとその息を目覚ましがわりにしたのか、なるほどくんがふっと目を開いた。

「おはよう。熱、下がったみたいだよ」

のそのそと起き上がったなるほどくんは、寝ぼけているのか、数秒間瞬きを繰り返し。
すぐ側に立つあたしにやっと気がついたようだ。と、思ったら。

「な、なるほどくん!?」
「あったかい」

にゅっと両手が伸びてきて、するりと回される。
なるほどくんは座ってるから、あたしの腰に抱きつくような形になった。

「ちょっと!何寝ぼけてるの!?」

いきなり抱きつかれたあたしは、かなり狼狽してしまった。あせって腕を振り解こうとしたけど、
相手は大人の男の人。がっちりと腰に手を回されて、逃げられない。
どうやら、抵抗するだけ無駄みたいだ。

「真宵ちゃん、あったかいね」

あたしの言葉を全然聞いていないなるほどくんが、ぽつりと呟いた。
首を少しだけ傾けて、あたしの身体に頬ずりするように。なるほどくんは目を閉じて、あたしに抱きついていた。
瞬間、破けそうなくらいな痛みがあたしの胸を襲う。

「……だって、あたし生きてるもん」

───あたしはお姉ちゃんと違って、生きてるもん

そう言った途端、涙が出てきた。

泣くつもりなんてなかったのに、あたしは涙を止めることができなかった。
そんな当たり前のことが、わからなくなってるなるほどくんが悲しくて。
あの日の夜で立ち止まって、動けなくなってる目の前の彼が切なくて愛しくて。

「何で泣くの、真宵ちゃん」
「何でもない」

あたしの泣き声を聞きつけたなるほどくんが、姿勢はそのままで問いかけてきた。
あたしはそれに鼻声で返す。

「何でもないのに、泣いてるの?」
「何でもないのに、泣けてくるの」
「そうか…大変だね、霊媒師は」

わけのわからないことを言いつつ、なるほどくんはあたしを離そうとしなくて。
まるで子供みたいに抱きついてくるなるほどくんを、引き離すことも抱き返すこともしないで、あたしは。
切なさと悲しさで胸をいっぱいにして泣いた。

「……ねぇ、なるほどくん」
「うん?」

しばらくして、あたしは呼びかけた。返ってくる声は優しい。

「駅前に新しいラーメン屋ができたんだよ。今度行こうね」
「…うん」
「今度、近くでトノサマンショーがあるんだよ。連れてってね」
「…休みがあったらね」
「ひょうたん湖のボートに乗ろうって約束、覚えてる?」
「…覚えてるよ」
「なるほどくん、あたしと一緒にいて」

───お願いだから、あたしと一緒に生きて)

声が詰まって、それ以上は言えなかった。

「……わかった」

あたしの顔を見ないで、なるほどくんはそう答えた。あたしを抱く腕に、きつく力を込めて。

もうお姉ちゃんには、涙を送ることしかできないけれど。
あたしは生きていたい。この人と共に生きていたいよ。

(……ごめんね、お姉ちゃん)

あたし、この人が好きなの。

抱きついてくる体温はとても温かい。生きている人の温度。
それはとても優しく、安堵できるもので。

「なるほどくんも、あったかいよ」

鼻をすすりながらあたしは言った。
なるほどくんは目を閉じてそうだね、と頷いた。

 

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故・千尋←成となっている場合、それを断ち切れるのは真宵ちゃんだけだと思います。
死者をずっと好きでいるのは無意味かつとても悲しいことですから。
真宵ちゃんのあのパワーに癒されてほしいです、ロンリーナルさん。
ナルチヒが好きなんで、ナルマヨ書くとこんな感じになってしまいます。
…か、かろうじてナルマヨですよね?コレ。手も繋いでるし、抱き合ってるし!
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