それは、自分の心の中でもう何度も願ったことだから。
願いは星に託そう。空に運んで叶えてもらおう。
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「デート?」
その人は神妙な顔で呟く。 あたしはうんうんと二回頷くと、彼の大きな背中を押して事務所から追い出した。
自分も外に出たことを確認すると、姿勢を反転させて扉に鍵をかける。
「………真宵君」
「はい、御剣検事」
静かに呼ぶ声に、笑顔で振り返る。
眉間にしわを寄せた彼は、困惑したように自分で自分の肩を抱いた。そしてあたしに質問する。
「成歩堂は」
「なるほどくんはどっかを走り回ってます」
「……そうか」
「そうです!というわけで、デートしてください」
鳩が豆鉄砲をくらった顔なんてみたことないけど、きっとこんな顔なんだろうなぁ、
なんてことをあたしは考えながら御剣検事を見上げた。
確かに、ふらりと親友の事務所に顔を出したはいいけどその主はいなくて、その代わりに
助手が出てきていきなりデートしろ、なんて詰め寄られて困惑しない人はいないだろう。
「事務所に遊びにきたんですよね?ということは御剣検事、今ヒマですね?」
「確かに予定はないが……そういうあれは…」
「困るとか言わないでくださいよ、ね」
こういう時、あたしは無邪気に笑ってみせる。怖い顔してるけど、御剣検事は優しい人。
「………うム」
「じゃ、行きましょうか」
とても短い返事を肯定と受け取り、あたしは元気よく階段を降り始めた。
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「どこか行きたい所、あります?」
「………特にないが」
休日はどこも人でいっぱいだろう。先にたって歩き始めたものの、特に行きたい場所もない。
人のいない静かな場所を選んで街を歩き続けた結果。
いつのまにかあたしたちは、恐ろしいほど寒々しいある場所にたどり着いてしまった。
「あ」
「ム?」
顔を見上げると、寒さで唇が紫色になっている御剣検事があたしを見つめ返す。
「ごめんなさい。場所が悪すぎですよね。他の所…」
あせって歩き出そうとしたあたしの手をとり、御剣検事はゆっくりと首を振った。
───ここは、ひょうたん公園。二年前、ある殺人事件が起こった場所だ。
こんなところに御剣検事を連れてきてしまうなんて…自分の気配りのなさに、思わず 肩が下がる。
「気にしなくていい……うム。ちょうどよい機会だな」
ぽん、と大きな手で御剣検事はあたしの肩を叩いた。そして何かを考え込むように黙る。
しばらくして、眉を寄せて見つめるあたしを振り返り御剣検事は言った。
「真宵君。ボートに乗ろう」
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「さ、寒いー!」
無言でボートを漕ぐ御剣検事の顔色は悪い。
それは寒さからなのか、それとも内に秘める感情のせいなのか……あたしにはわからなかった。
こんな真冬にボートに乗る人なんて、あたしたちくらいだろう。
広く寒々しいひょうたん湖を 貸しきって、あたしたちを乗せたボートはゆっくりと湖面を進む。
「……とのさまんじゅう、もう売ってないですね。食べたかったなぁ」
「そうか」
寒さで赤くなった自分の膝を手のひらで撫でつつ、御剣検事を盗み見た。
二年前…どういう気持ちで御剣検事はボートに乗っていたんだろう。
その後すぐ失踪して、また戻ってきて…なるほどくんは、すごく怒っていたけれど。
いつのまにか二人は元に…ううん、元以上に戻ってた。
(……男の人って案外、単純なものなの?)
その時、誘拐されてたあたしは今でも腑に落ちてない。
なるほどくんなんて、御剣検事のこと さんざん死んだだのいないなど言ってたくせに。
「御剣検事……」
「ム?」
名前を呼んだ後、あたしは首を振った。
彼の過去の傷を痛くしないで、真実を導き出す…そんな高度な尋問、あたしに出来るわけがない。
(ハッタリの上手いなるほどくんじゃあるまいし)
白い顔のまま御剣検事はボートを漕ぎ続けてる。
またこっそり御剣検事の顔を盗み見た後。
「ふ………」
「ふ………?」
真冬の冷たい風が湖面を滑って、あたしの鼻先を通り過ぎた。
「ふぇっくしょん!!」
「!」
素早く身をかわしたのにもかかわらず、御剣検事は狭い場所で向き合って座るあたしからは
逃げ切れなかったようだ。御剣検事のフリルを汚すことを恐れたあたしは、身体が固まってしまった。
驚きの表情で御剣検事があたしを見つめる。
「ご、ごめんなさ……っくしょん!!」
慌てて謝るも、二度目のくしゃみがあたしを襲う。あせったあたしは頭を下げようと勢いよく立ち上がった。
「!!真宵く…」
重心が急激に移動し、ぐらりと揺れるボート。
バランスを崩したあたしの身体に、御剣検事がとっさに手を伸ばす。
ばしゃん、と派手な音を立てて湖面が波打った。
「…………」
「…………」
あたしたちは口を開けたまま、数秒間見つめあった。ゆらゆらと激しく揺れるボートの上で。
腰が抜けたようにへたり込むあたし。
つられてバランスを崩し、膝をついた格好の御剣検事。
(ど…どうしよう……)
肝心な時に言葉が出てこない。とりあえず、謝罪の言葉を言おうと口を開いた。
しかし、次の瞬間あたしの口から飛び出してきたのは。
「………ふぇっくしょん!!っくしょん!!」
今度は防ぎようもなかった。そして彼も逃げようがなかった。
盛大なくしゃみを二回もかましたあたしを、御剣検事は目を丸くして見つめた後。
「……は」
「え?」
「いや、すまない……し、しかし……ハハハ!」
御剣検事はいきなり笑い出した。声を上げ、腰を曲げて。
最初はびっくりして呆然としていたあたしだったけれど、子供のように笑い転げる御剣検事が
可愛くておもしろくて。 見ているうちに、いつのまにか笑いが伝染してしまった。
あたしたちは狭いボートの中で、しばらく笑い続ける。
はたから見たら、さぞかし奇妙な光景だっただろう。人気がないことをいいことに、あたしたちは大声で笑った。
腹を抱え、涙まで滲ませて。なぜだかとても嬉しくて、おかしくて。
(───よかった)
笑いながらあたしは、ぼんやりと思った。
(御剣検事が笑ってて、よかった。悲しんでなくて、よかった)
過去に怯える姿は、もう見たくない。
(ずっと、ずっと笑ってたらいいのに)
ボートは湖面の上に静かに浮かぶ。それに乗るあたしたちはいつまでも笑いあっていた。
:
ボートを降りた後。あたしたちはベンチに並んで腰をかけた。
寒いし、暖かいところに行きたい気持ちはあったけど…御剣検事とこうして二人でいることが
今はとても幸せだった。
「よかった」
ぽつりと呟くと、御剣検事があたしを見た。顔を彼に向けて、あたしは笑う。
「御剣検事、ここにいるのつらくないですか?」
「………」
御剣検事は一瞬言葉を失う。あたしは静かに彼の反応を待った。
しばらくして、御剣検事はゆっくりと口を開く。
「正直言うと…私は、君が苦手だった」
「え!」
目を丸くしたあたしに、彼は緩やかに笑いかけた。
「いや…君自身のことではない……霊媒師の、娘である君が」
「………」
「君の母親がいなくなったのも…元をただせば、私が原因だ」
「!…違います!」
「ああ、違う。それは成歩堂が明かしてくれたことだ」
でも、と言って御剣検事は目を伏せた。
「私の父親の証言は間違ったものだった…その結果、綾里舞子は破滅した」
それは誤魔化しようのない事実。事件を起こしたのは、たった一人の人間だけれど。
「私は弁護士と、その犯罪全てを憎んできた…だからこそ検事の道を選んだ。
有罪を勝ち取ったこと…犯罪を裁いたこと。それは今でも後悔はしていない。
その道が、あの人に導かれて歩んできたものだとしても。間違っていたとは思いたくない」
DL6号事件が解決して、真犯人がわかって…御剣検事の師匠である人が逮捕された。
無実と一緒に、御剣検事の歩いてきた道の全てが消えてしまった。
「私は私の仕事に、誇りを持っている」
それが、一年間法廷を離れていた結果たどり着いた彼の真実なんだろう。
今、そう言いきれる御剣検事はすごいと思う。あたしは言葉の代わりに何度も頷いてみせる。
「しかし」
ゆらりと御剣検事の声が揺らぐ。
「君を見ると…父を思い出してしまう時がある。どうしても過去の自分を思い出してしまう。
───純粋に弁護士を目指していた子供の頃の自分のことを」
俯いて御剣検事は吐き出すように言った。
「それが責めるのだ…検事として生きている、今の自分を」
一度曲がってしまった人生を、これからも歩めるのか?
そんな不安が御剣検事の瞳を曇らせる。
「自分は成歩堂と違う。もうすでに、何回も歪んでしまっているのに。
彼とともに生きていっていいのか、と」
御剣検事は以前、有罪を勝ち取る検事だった。あたしもそれは知ってる。
あの時の彼の目を、今でも忘れることが出来ない。あたしを…被告を憎む恐ろしい瞳。
「私は……このまま、生きていいのだろうか」
今、目の前で苦悩する人と、あの時の検事は同じ人だ。
……でも。
「オオトロの裁判の時ね。なるほどくん一人だったら駄目だったって聞いたよ」
手を伸ばして御剣検事の手に触れた。それは驚くほど冷たくなっていた。
けどあたしは、気にせず思いっきり握り締める。
「御剣検事が相手だったから、どうにかなったって」
なるほどくんはあの後、何度も言っていた。──御剣にぼくは、助けられたんだって。
『あいつが正面に立っていたから、ぼくは何度でも異議が唱えられたんだよ』
───あたしも、御剣検事がいたから。
「御剣検事がいなかったら、あたし今頃ここにいない」
手のひらにぎゅっと力を込める。
「御剣検事……検事になってくれて、ありがとう」
悲しくもないのに、視界が涙で揺らいでいく。声が震えてしまう。
「あたしのわがままだけど……御剣検事が検事でいてくれてよかった。本当にそう思うの」
だから過去に怯えないで。自分を責めたりしないで。
お願いだから、どうか悲しまないで。
「ありがとう……」
しばらくして、御剣検事が静かに呟いた。視線を落とし、俯いたまま。
でもその言葉と一緒に、あたしの手がきつく握り返されて。
あたしは思わず頬に涙を落としてしまった。
:
「流れ星、見えないかなぁ」
「どうだろうか」
あたしが顔を上げると、御剣検事もつられて空を見上げた。
空はただ真っ暗で、流れる星なんて見えなかったけど。
あたしたちはしばらく無言で 空を見ていた。
ずっとずっと昔に、出会った二人。──お母さんと、御剣検事のお父さん。
たった一人の手によって起こった事件。巻き込まれた人はたくさんいて。
弁護士や検事、被告人に被害者。
運命というのはとても残酷で様々な不幸を生み出してしまった。
……亡くなった人、消えてしまった人。そして、今でも過去に怯え苦しむ人。
でも。でもね。
もしあの事件がおきなかったら?
あたしはここにいなかった。この人もここにいなかった。
あたしは誰にも会えなかったんだ。なるほどくんにも、御剣検事にも。
こうして二人、夜空を見上げる。
こんなにキレイな星空を、知ることもできなかったのかな。
「やっぱ見えませんね、都合よく流れ星なんて」
「ム…」
首が痛くなってきたので、空から視線を外そうとした時。
夜空を割って素早く滑る星が見えた。
「あ!早く、御剣検事!」
「何がだ?」
「願い事だよ、願い事!」
「う、うム」
あたしにせかされ、御剣検事は胸の前で両手を合わせた。そして目を閉じて何かを祈り始めた。
あたしは笑いながら彼を観察した後、自分も目を閉じる。
自分の幸せは、心の中でもう何度も願ったことだから。
これからは彼の幸せを祈ろう。
そして、星に託そう。空に運んで叶えてもらおう。
あたしが……ううん、世界中の人が不幸になっても。
どうか、この人がずっと笑っていられますように。
重すぎる過去に怯え、悩むことのないように。
悲しむことの、苦しむことのないように。
ずっとずっと、笑っていてくれますように。
この目の前にいる人が、ずっと幸せでありますように。
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