top> 遠雷を控えて

 

 
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「娘との感動の再会は…楽しめたかい?」

暗闇の中、浮かび上がるのはすでに色素の抜けた髪。
そして、傷跡のような赤い三本の線。

「……いいえ。あの子は、何も知らないのですから」

さらりと布の擦れる音の後、柔らかな声が闇に解けていく。

「あの女の計画をぶっ潰した後に、また声を掛けてやったらどうだ?
おじょうちゃんも喜ぶだろう」
「……………」

返事のかわりにその場に響いたのは、雪の落ちていく微かな音だけ。
男と女は息を潜め、中庭にいた。 建物の中からは、にぎやかな笑い声が聞こえてくる。
それとは対照的に、この場所は恐ろしいほど静かだった。

「もうすぐ家元になるあの子に、母親の愛情は必要ありませんから」

男の言葉に、女はきっぱりと首を振る。
漆黒の髪に合わせたような黒い瞳には、力強い真っ直ぐな光が宿っていた。

「これを」

女は手にしていた杖を男に示す。男はそれを手に取り、巧妙に隠されている刃に気がつくと
かすかに目を瞠った。もっともそれはゴーグルに隠され、女はそれに全く気がつくことはなかったが。

「私が美柳ちなみを霊媒して、それでも彼女の行動を止めることができなかったのなら」

そこで女は言葉を切る。それは迷いのせいではない。
揺らぐことのない決意を彼女がすでに固めていることを、お互いに悟っていたからだ。

「………わかっていますね?」
「アンタのその娘を思う気持ち…感心するぜ」

返された低い声に、女は首を振る。

「いいえ。私がこうするのも、娘のためではありません」

────すべては、綾里家のために。

他のものから聞いたら、くだらないことと思うかもしれない。
同じ血が流れるもの同士が、お互いに相手を陥れるような争いを長年繰り返しているなど。

「あなたを…巻き込んでしまうかもしれない」
「クッ……今更だぜ。オレはすでに、自分から首をつっこんでいるのさ」

ふ、と女は瞳を緩ませて笑った。

「あなたから連絡をもらった時は驚いたわ……神乃木弁護士」
「よしてくれ…その名はもう、捨てたものだ」
「…………」

接点のないこの二人が顔を合わせたのは、今日が初めてだった。
しかし二人は、ある共通点を持っている。
男は弁護士という立場と名前を。そして女は、社会的地位を失っていた。
全てを失った二人がこうして集まり、ある計画を潰すために水面下で動いていることを…
今はまだ、誰も知らない。

───さっき言ったことは、嘘よ」

流れた沈黙を破り、女が囁くように言った。
家元としての顔を捨て、ただの一人の女性として言葉を紡ぐ。

「あの子を抱きしめて、母親と名乗り出たかったわ」

家元なんてどうでもいいの、と呟く女を男は苦々しい思いで見つめる。

人が人を位付けすることに、何の意味があるのだろう?

それが何も意味のないことを、二人は知っている。
いや、二人だけではない。きっとこの事に関わる全ての者が、わかっているのだろう。
妬みや憎しみの理由付けとして、ただその言葉を使っているだけに過ぎない。

黒く輝いていた瞳がわずかに潤んでいることに、男は気付く。

「まだ泣くのは早い…男が泣いていいのはすべてを終えたときだけ、だぜ」
「そうね……全てを終えたら…」

───終えたら?
幸せになれるんだろうか?また失った何もかもを、手に入れることができる?

激しく降り落ちる雪の中、二人は黙り込む。
その時、建物の中で人々が動き出す気配がした。どうやら食事が終わったようだ。
女は顔を上げる。 その目には、先程の悲しげな様子は一欠けらもなかった。

「私は、春美ちゃんと一緒にいるようにします。あなたは…」
「オレは奥の院側にいる。……安心しな。おじょうちゃんは必ず守る」
「ええ」

男は低い声でそう誓う。 その男の約束は暗に、ただ一人だけを救うということを示していた。
どんな犠牲を出しても、自分たちの手は止めない。
たった一人の少女を救う。それだけが、今夜の二人の目的だった。
それでも女はその言葉に頷いた。迷うことなく、はっきりと。

「私たちの方から、華麗に引導をわたしてやりましょう」

そうして女は、首を傾げて笑った。
長い黒髪が揺れるその上品な様を見つめ、男は小さく息を呑む。
かつて愛した、ただひたすらに真っ直ぐ前を見る、純粋な心を持つ女性を目の前の女に重ね合わせて。

「ああ……」

彼が頷いたことを確認すると、彼女はローブを翻して建物の中に消えていった。

男はその場に立ち尽くしながら、さっき見た女の笑顔を思い返した。
花のように美しく開く、柔らかな微笑み。それは数年前、この目で何度も見たもので。

それもそのはずだ。 あの女性は、亡くした恋人の母親なのだから。

「チヒロ……」

男は名を呼んだ。祈るように、縋るように。
すでに見えない瞳を閉じ、失ってしまった彼女の姿を思い浮かべた。

───全てを終えても、何も変わらない。

この髪の色も視力も戻ってはこない。愛した女性も、戻ってくるはずがない。

でも、それでも。

守れなかった命のかわりに、妹だけは助けてみせる。
それがその男の考えた、生きる目的だった。

しばらくして、男は目を開く。
表情に浮かんでいた微かな迷いも恐れもすべてその場に捨て去り、 男は歩き出した。
吊り橋の向こう側へと。



そして、残酷な夜が始まる。



●   
・.

 
















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ゲーム中、舞子さんにフォローがなかったので。
あの事件の黒幕(?)さんたちの会話妄想です。
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