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 相変わらず日の光の届かない薄暗い場所に足を踏み入れた時、なぜだかわからないけれどものすごい疲労感に襲われた。深いため息をひとつ。ただ、検事局に書類を届けに来ただけなのにどうしてこんなに疲れるのだろう。ぼくは目の前に存在する多数の車たちを見てぼんやりと考えた。
──ああ、ぼくは弁護士なんて何で続けているんだろうか?
 千尋さんが亡くなり、真宵ちゃんも里に戻り、茜ちゃんが外国に行ってから。 依頼を引き受けて法廷に立つこと数回。数々の裁判を経験し、自分なりに成長できたかと思っていたのに。
 今日に限ってなぜか疲れてしまった。何で続けているのかなんて、そんなことを今更思うのはなぜなんだろう。
 心の中で理由を探りながら、ほぼ無意識にある一ヶ所に視線を注いでいる自分に気が付いた。
 数ヶ月前。一台の車が止まっていた場所。ある事件の現場。
 疲労感の原因が一瞬にして判明した気がした。この場所に来ればどうしても奴のことを思い出してしまう。
 死体の発見現場となった赤い車の持ち主のことを。メモ一枚残して死んでしまった男のことを。

(違う、関係ない)

 ぶるぶると頭を振ってその思考を追い出した。
 弁護士を志した、直接の原因である男がこの世から消えたからといって自分まで弁護士を辞めることはない。ぼくは御剣のために弁護士を続けているんじゃない。千尋さんと真宵ちゃんに約束したんだ。あと、巴さんとも。あの時一緒にいた、結局は死を選んでしまった男のようにはならない、自分は絶対に。

 甲高いブレーキ音が耳に届いて、ぼくは瞬時に現実へと戻された。
 見るからに高そうな黒塗りの車が駐車場に入ってきたところだった。ぼくの数歩前に停止すると運転手が一人、先に降りてきた。丁寧な仕草でドアを開く。自分の手では車のドアも開けないほどに偉い人物がやってきたのだろうか?
 まあ、自分には関係のないことだ。無言で観察するのを諦めて車とは反対方向に踵を返そうとした時に。黒い車から赤色が出てきた。その色のコントラストに思わず目が留まった。明るい赤ではなく深く濃い赤。その色にある人物を思い浮かべたからだ。続けて蘇りそうになる記憶の数々に気付き、ぼくは素早く目を逸らそうとした。あいつのことなんてもう、少しも思い出したくないから。
素早く目を逸らそうとした、けれども。
 ぼくの視線はそのままその色に釘付けなってしまった。その色というよりはその色を身につけていた人間に。
 心臓が止まる。
 呼吸も。思考も、動作も。
 車からゆったりとした動きで降りてきたのは御剣だった。

「な、んで……」

 問い掛けにきちんとなっていない、ほぼ独り言のような言葉が口をついた。ぼくはその場に立ち尽くしたまま一歩も動けなくなってしまった。
 御剣は地面に降り立ち振り返ると、ドアを開いていた運転手に向かって何か言葉をかけた。彼の声が耳に届く。流暢な英語。日本語じゃない。
 ──違う。
 否定の言葉が頭の中に弾けた。御剣じゃない。別人だ。……だって、御剣はもう。
 立ち尽くしたままだったぼくに男もまた気が付いた。細い目が一瞬、大きく見開かれる。薄い唇がわずかに動いてぼくを呼んだ。実際に声は発せられてなかったけれどもぼくにはわかった。彼はぼくを呼んだのだ。でもそれはぼくの名前だったのだろうか?それにしては短すぎる気がした。
 ぼくはまるで幽霊を見た時のような顔をしていたのだろう。御剣によく似た男は足を進ませると、ぼくの前でその歩みを止めた。真正面に立つと、同じように彼もまたぼくの顔を観察し始める。
 その男は見れば見るほど御剣に似ていた。顔の作りから派手な格好まで。短い眉をしかめる癖、腕を組んでその上で指先を上下させる仕草も。 違うのは瞳の色。ぼくを捕らえる細くて小さい目は薄く青みがかかっていて、それは彼が異国の人間だと言うことをぼくに思い知らせた。

「なんで……」

 先程と同じ言葉が零れた。
 違うと。違う人だとわかっていても噴き出した疑問がぼくの中から無くなることはなかった。

 何で生きているんだよ。
 死んだんじゃなかったのか。
 自分を殺す道を選んだんだろう、お前は。

 もし会えることがあれば、言ってやろうと思っていた数々の言葉たち。
 御剣。御剣に言いたいこと、聞きたいことが山ほどある。御剣、お前は何で。どうして。
 でも、御剣は消えてしまった。言いたい言葉はもう一生伝えることができない。
 目の前にいるこの人間は御剣じゃない。御剣と同じ顔をしてるのに、御剣と同じ格好をしているのに御剣じゃないんだ──
 その事実を思い出し、ふいに涙がこみ上げそうになる。
 全て切り捨てたはずなのにお前はどうしていつまでもぼくの中に残るんだよ。お前は、なんで、いつも、いつも。

「なんでぼくを置いていくんだよ……」

その時ぼくの口から落ちたのは、今まで思っていたこととは全く違う言葉だった。思わず俯いてしまう。自分の言葉に自分が一番驚いて。

「……?」

 ふっと足元が翳った。はっとして顔を上げる。ぽんと肩に手が置かれる。
 身を引く間もなく腕を掴まれて動きを制限されてしまった。他人の呼吸が自分の間近に迫る。吐く息が頬に当たって。ぼくは彼とは逆に息を大きく飲んだ。青い目。見たこともない青が目の前にあった。理由もなく圧倒される、表面から底までが全て青色の目。
 その時の状況にぼくはただ驚いて目を閉じることしかできなかった。無防備な唇に押し付けられる何か。

「!!???」

 懐かしいような初めてのような。そんな柔らかい唇がぼくの唇に触れた後にすぐ離れる。離れた後、下唇をぺろりと舐められた。舌先でからかうように。

「なっなにするんだよっ!!」

 一瞬で我に返って相手の肩を思い切り押す。けれどそれは数秒遅く、その男の身体はすでにぼくから離れていた。見事に空振りしたぼくの右手に気付き、顎を持ち上げて男はふっと笑った。

「おっおまえ……!」

 御剣、と呼ぼうとして本能的に声が詰まった。違う、御剣じゃない、御剣は遺書を残して消えて、もういない。

「I'm sorry. ……Inadvertently because you seemed to cry.」
「はっ!?」

 突然英語で話しかけられて心臓が跳ね上がった。辛うじてソーリーとだけ聞き取ることができたけれど、その後に続いた言葉が全く理解できない。男はそのまま優雅に頭を下げる。その仕草も御剣そのままで、ぼくの頭は最高に混乱した。声の感じもそっくりなのに発せられる言葉は英語で日本語じゃない。
 あまりの出来事に腰が抜けてしまった。へなへなと冷たい地面にへたり込むぼくを見て、その男は助けるどころか嘲笑を送ってきた。意地悪な性格も奴と同じなのか。
 御剣にそっくりな男は英語で二言三言ぼくに何か言った後、背中を向けて歩き出した。そしてそのまま振り返りもせずに検事局の中に消えていった。ぼくに向かってライトだかニックだか何だか、色々と言ったような気もするけれど、混乱する頭で英語なんて理解できるはずもない。

「…なんなんだよ……」

 ぼくはその場に座り込んだまま独り言を漏らした。御剣にとてもよく似た、けれども全くの他人の姿をずっと目で追いながら。その背中が自分の視界から消え去ってもずっと、その場に座り込んで少しも動けないまま。




 ぼくはその夜、なかなか眠ることができなかった。
 御剣によく似た外国人なんて本当に存在するのだろうか?元々造りが整っている顔とはいえ、日本人以外の人種に見えるような顔ではない。夢だったのかもしれない。失踪した御剣の身を案じるあまりに、自分が作り出した白昼夢。何だかものすごく不本意なんだけど、それ以外に理由が思いつかない。──そうは思っても。
 あの時、彼の唇が触れた一瞬を何度も反芻してしまう自分がいた。突然の口付けに心底驚いてはいたけれど、ぼくの身体はあの短い時間をとてもよく記憶していて、そして忠実にあの瞬間を再現してみせた。
 逃がさないように腰に絡みつく手。口付ける寸前に一度、ためらう癖。かさついた唇。無表情からは全く想像できない、荒々しいキス。
 それらを思い出して記憶と比較すればするほど、御剣とそっくりな気がしてきた。
 奴を必死に忘れようとしているのに。昼間のことを思い出そうとすれば、どうしてもどうしても奴の顔が頭に浮かんできて。それだけじゃない、腰を抱いて引き寄せる強さも頬に触れる指の温度も。全部がいまだに自分にまとわりついているような気がして。そして何より、奴の全てをいまだ克明に覚えている自分が情けなくて悔しくて切なくて。
 ぼくは眠りに付くまでの長い時間、御剣のことばかりを考え続けていた。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


エッジワースさんの言葉は翻訳結果丸写しです。エキ○イト万歳。
日米共に、検事チームは失踪という名の海外研修に出掛けてましたという話。
ちなみに私は、1-5・2-4までのぐれてるなるほどくんが何だかとても好きです。


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