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───
あなたは、後悔してないのですか?


・.



「どいて」


笑顔を消した顔に、強い口調。でもここで怯んではいけない。
あたしは両手を伸ばして立ち、事務所のドアを全身で隠す。そして視線を真正面からぶつけた。

「どいて、真宵ちゃん」
「嫌」

そう一言だけ返し、負けじと睨み返す。

「今日こそあたしも連れてって。また置いていくつもりなら、絶対どかない」

あたしの言葉を無表情で聞く彼は、頷くことも首を振ることもしなかった。
唇をきつく噛む。息を詰めて、彼を見上げた。

「お願い…連れてって」

そして懇願する。自分でも驚くくらい、切羽詰った声だった。

「後悔しても知らないよ」

小さなため息をひとつつくと、なるほどくんはそう言って張りつめていた瞳を少しだけ緩めた。

・.


某月某日 留置所 面会室

「おや。今日は一人じゃないのかね?ミスタ・ベンゴシ」

その男はそう言ってニカッと笑った。留置所の、透明な壁に閉じ込められたまま。
コナカマサル…お姉ちゃんを殺した男。そしてあたしに、なるほどくんに罪を被せようとした男。
なるほどくんは、数週間前にこの男からの依頼を受けた。
憎むべき存在の、この男を弁護するというのだ。あたしは納得がいかないと言って、彼に何度も抗議した。
でもなるほどくんは、取り合ってくれなかった。あたしが何言っても、ただ黙って留置所へと通う。

こうなったら、あたしが直接この男に聞くしかない。

あたしが視線を逸らすことなく睨み続けていると、コナカが首を傾げて笑う。

「どこかで見た顔だな…フーアーユー?」
「綾里、真宵です」
「オゥ!ソーリー、思い出したよ」

忘れているはずがない。彼が証言台に立っている時、あたしも法廷にいたのだから。
そして、あたしのお姉ちゃんを殺したのだから。ふざけた物言いに腹が立つ。
膝の上に乗せた拳を握り締め、息を吐く。そして彼から視線を少しも逸らさずに睨みつけた。

「どうして、お姉ちゃんを殺したんですか」

あたしは平常心を必死に保ちながら、静かに問いかけの言葉を吐き出した。
コナカの顔が微妙に変化した。しばらくあたしを見つめた後、ふと視線を逸らして後ろに
立つなるほどくんに問い掛ける。

「ミスタ・ベンゴシ。君はこの少女に何を吹き込んだんだい?」
「今はあたしと話しているんです!答えてください!」

思わず声を荒げてしまった。白くなる程、手のひらを握り締めて睨みつけるあたしを見て
コナカの顔から笑みが消える。

「簡単なことだ……彼女は知りすぎた。だから消した。それだけだ」

───それだけ?
あたしはこの男の言ってることが理解できなかった。
呆然と彼を見つめるあたしに、コナカは 肩をすくめて言う。

「世の中には死んでいい人間といけない人間がいる。ミス・チヒロは前者だったのさ」

アンダスタン?とおどけてコナカは言った。

(死んでいい人間?)

……誰が?お姉ちゃんが?
それは誰が決めたの。

それを決めたのは目の前のこの男。

「仕方のないことだったのさ。ミス・チヒロは死ぬ運命だった」

すうっと頭の芯が冷えていくのを感じた。コナカはひらひらと手を振り歯を見せて笑う。
あたしはぼんやりと彼の手を見ていた。 この男が、その手でお姉ちゃんの命を奪ったんだ。
たった一瞬で、お姉ちゃんのすべてを。
仕方がない?

(どうしてそんな悪びれもなく、ひどいことが言えるの?)

「……あなたは、後悔してないのですか?」

震える声を絞り出して、あたしは小中に問いかけた。

「愚問だな」

けれどもそれは、あっさりと流されてしまう。

「ミス・チヒロを殺害したこと…後悔してるさ」

そして低い声でそう言った。しばらくして、コナカは口元に笑みを取り戻した。
それはすぐ、嘲笑のものに変わる。

「なにも自分の手を汚してまで始末することなかった、とね」

あたしはそこで、言葉を失ってしまった。怒りも憎しみも、ありすぎて麻痺してしまった。
何の感情も追いつかない。

「真宵ちゃん」

隣にいたなるほどくんが、あたしの肩を叩く。それでもあたしは答えることができなかった。

(こんな…こんな奴に、お姉ちゃんは)

───ひどい」

言いたいことは溢れるくらいあるのに。
怒りですべてが真っ白になってしまったあたしの口からは、そのたった一言だけしか
出てこなかった。

「真宵ちゃん」

肩の上の手に、わずかに力が込められる。 その手のひらの温かさに、思わず涙が溢れそうになる。
こんな男の前で泣きたくない。もうこれ以上、この男の顔を見たくない。
あたしは立ち上がり、なるほどくんの横をすり抜けて扉へと向かった。
俯いたまま、ドアノブに手を掛けたその時。
バン!といきなり激しい音が部屋に響いた。あたしはびくりと肩を揺らして振り返る。
そこには目を見開いて驚くコナカの姿と。

「み、ミスタ・ベンゴシ…?」

立ち上がった状態で、彼との間を遮る壁に両手をつけ、見下げるようにしてその男を威圧する
なるほどくんの姿だった。

「ありがとうございます、小中さん。……ぼくに依頼してくれて」

とても静かな声でなるほどくんは言った。
彼に感謝の言葉を、とても丁寧にゆっくりと。

「ぼくが弁護すれば、あなたは罪を軽くすることができる」

無罪にすることはさすがにできませんが、と付け加えてなるほどくんは声を出して笑った。

「あなたのおかげで、ぼくは弁護士として成長することができました。あなたが所長を殺した
おかげで、ぼくは今こうして弁護席に一人で立てるようになったんですよ」

あたしの立っている場所からは、なるほどくんの顔は見えない。でも。

(なるほどくん……怒ってる)

彼の背中からは言いようのない迫力が感じられた。
今、彼はどんな顔をしているのだろう。
それは、おびえた表情でなるほどくんを見上げるコナカの顔を見れば容易に想像できる。

「ぼくを信じてくださいよ。ぼくもあなたを信じますから」

透明の壁から手を離して、なるほどくんはコナカと距離をとった。
後ろで立ち尽くすあたしからも彼の横顔が見えるようになった。
驚くことになるほどくんは無表情だった。 怒りも憎しみも感じられない。
ただ、表情をなくしてコナカを見つめる。
しばらくコナカを無言で見つめた後、なるほどくんはゆっくりと口の両端をあげて笑った。
それはいつもの笑顔とは全然、違う顔で。

「すぐにそこから出してあげますよ。そしてもう一度、ぼくたちに教えてくれませんか」
「何をだい?………ミスタ・ベンゴシ」

顔に笑顔を貼り付けたまま、なるほどくんはさらりと答える。

「千尋さんを殺した理由を、ね」

壁の向こうから、コナカが息をのんだ音が聞こえた。


・.


「なるほどくん…」

小さく名前を呼んでも、先を行く青い背中は振り返らなかった。
留置所から出た後、なるほどくんは一言も話さなかった。
そんな彼にあたしは、 何かを言いたいのに何も言うことができない。
早足で歩くなるほどくんについていくのが精一杯だ。
突然、なるほどくんは足を止める。二人の距離がやっとつまり、あたしは彼を見上げた。

「なるほどくん…?」

目を細め、彼が見ている場所は───ホテルの向かいの、事務所。
今のあたしたちが毎日を過ごすところ。そして、お姉ちゃんが亡くなった場所。

「もしも……」

なるほどくんはぽつりと呟いた。視線をその場所から逸らすことなく、真っ直ぐのままに。

「もう少しだけ、ぼくが早く帰ってきていたら」

───あなたは、後悔してないのですか?


後悔なんて、ずっとしてる。
あの日から、ずっとずっと。


その日、あたしは初めてなるほどくんが泣くところを見た。
背の高い彼が、俯くこともなくただ真っ直ぐに前を向いたまま流す涙。

その涙を見ながらあたしは、初めて人を殺してやりたいと思った。

ただ、そう思った。 本気で思った。

 

●   
・.

 

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なにやら物騒な終わり方ですが。
ちょっとの差で大事な人を亡くしてしまった二人は、あの日をずっと後悔してそうだと思う。
今、逆転姉妹をやり直すととても悔しい。やりきれなくて堪らなくなります。
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