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身体は大丈夫なの?
その髪はどうしたの?
どうしてそちら側にいるの?

私のこと、愛していたの?

聞きたいことはたくさんあるのに。
何一つ、言葉にできずに。


●   
・.



「千尋さん、お久しぶりです」

少しはにかみ、なるほどくんはぺこりと頭を下げる。
私は腕を組んだまま、にこりと笑いを返した。
私が彼の目の前に姿を現すのは本当に久し振りの事だった。
霊媒できる真宵はいつも彼の隣りにいたものの、そう簡単に私が降りてくるわけにはいかない。
私はもう死んでいる身で妹や部下とは違う世界にいる。
それに、今では実力派弁護士と呼ばれるなるほどくんに師匠であった私の補佐は必要ない。
そう判断したのだ。
彼もわかっているのだろう。真宵に私を求めるような言葉は一言も口にしたことはなかった。
微妙な空気が二人の間に流れる。
青いスーツを着た彼の横を何人もの人が通り過ぎる。裁判所はいつも慌しく、活気に溢れている。
私は一度唇を結ぶと顔を上げ、正面に立つなるほどくんに笑いかけた。

「なかなか難しい事件だったわね……でも、見事だったわ。さすがなるほどくんね」
「相変わらずですよ、ぼくは。千尋さんには敵いません」

私の言葉を彼はやんわりと否定した。私は言い返そうと口を開きかけたけれどすぐに閉じた。
それはわかりやすすぎる嘘だった。弁護士になってから三年間。彼は必死に駆けてきた。
時間の止まった私に追いつき、そして追い抜いていることは自分でもわかっているはず。
それでもなるほどくんは笑い、私を敬する瞳で見つめる。すでに死んでいる私を。
ふいに胸が苦しくなって私は彼から目を逸らした。

「……ゴドー検事は」

二人の間に流れた沈黙を破ったのは、なるほどくんの小さな呟きだった。
私は視線を下に落としたまま、気付かれないように微かに息を呑んだ。

───ゴドー検事。先程の裁判で、検事席に立っていた人。

聞き覚えのない名前。それなのに。

「千尋さん、の」

そこまで言ってなるほどくんは口をつぐむ。
私が顔を上げると、共に揺れた黒い髪が頬をくすぐった。
私の視線になるほどくんは首を横に振った。そしてその言葉の先は口にしなかった。
聞き覚えのない名前、会った事もない検事。そのはずなのに。
頭の中に先程法廷で見た物が甦った。白いコーヒーカップ。
どこにでもある何て事のないありふれた物なのに、私にとっては何よりも意味を持つ物。

見覚えのある人。忘れることのできなかった人。
……コーヒー。初めての法廷。天才と呼ばれた検事。つり橋、小さなビンのペンダント。
ひとつひとつのものが、出来事が、人物が、鮮明に蘇る。

───センパイ。

胸の中で呼び掛けるだけで、泣きたくて堪らなくなる人。

「!」

温かい感触に手のひらを掴まれた。
突然のことに驚いて顔を上げると、目の前に立っていたなるほどくんが私の右手を
無表情で掴んでいた。そして、怪訝そうに首を傾げた私の手を強く引いた。

「通行の邪魔みたいですよ、ぼくたち」

少しだけ笑うと、なるほどくんは私の手を握ったまま廊下の隅に置いてあった
ソファへと腰を下ろした。それにつられて私も彼の隣に腰を下ろす。
なるほどくんは私の手を解放し、そしてまた口を閉じた。
私は混乱した頭を落ち着かせようと目を閉じて息を吐き出した。
ざわざわと人々の話し声が耳に流れ込む。
思わぬところであの人に再会して、心が今に戻れない。

以前もこうして、彼と二人裁判所のソファに座っていた事があった。
あれは初めての裁判の後。
彼の手のひらから流れ落ちる赤い血に流した涙が止まらなかった。
私が持っていたハンカチで彼の手を包み、それをきつく握り締めて泣いていると。
あの人は笑ってこう言った。

『コネコちゃん。……アンタはやっぱ弁護士だな。怪我の手当てはアンタには向いてねぇぜ?』

看護士にはなれねぇな、と喉を鳴らして笑う。

もう何年も前の出来事なのに、あの時の記憶が驚くくらい鮮明に甦る。
思い出に飲まれそうになり、私は息を吐き出して目を閉じた。
ゆっくりと目を開くと視界の隅に少しだけ映るなるほどくんの身体が動いたのがわかった。
ふと顔を彼の方向に動かした、その隙を狙って。

「肩、貸してください」

私が返事をするよりも早く、なるほどくんは身体を傾けた。
重みと生の温かさがスーツ越しに伝わってきた。
私はなるべく身体を動かさないようにして寄りかかった彼を軽く睨んだ。
私の視線に気がつくと目を細めて笑う。

「いいじゃないですか。元は真宵ちゃんの身体なんですから」
「それが問題じゃないかしら?あの子の意識のない間に勝手なことするなんて」
「ぼくによく肩、貸してくれますよ。真宵ちゃん」
「……なるほどくん。あなた、私の大切な妹にそんなことさせてるの?」
「無理矢理してくるんですよ。徹夜明けでふらふらしてる時に、こうやってぐいっと」

腕を小さく動かしつつ高い声を作って、あたしはなるほどくんの助手なんですからね!と
彼は笑いながら言った。今ここに真宵がいればきっとそう言うだろう。
その姿を想像して私も思わず笑みをこぼした。
こういう状況には慣れていた。
でもそれは肩を貸す立場ということではなくて借りる立場の方の、という言葉がつく。
目を閉じればいくらでも思い出すことができる。
寄りかかると必ずコーヒーの香りがした。私の身体を支えてくれる、あの人の身体。
お互いに無言で、ただその存在だけを感じていたあの瞬間。
私が疲れたときにいつもセンパイは肩を貸してくれた。
いい子だなコネコちゃん、なんてからかいつつも大きな胸を私に貸してくれた。
それはもう遠い昔の話で、今その人はいない。そして私も、この世にいない。

何もしゃべらずに、ただじっと私の肩に身体を乗せるなるほどくんを見つめる。
彼にとって私は頼られる人。私がずっと頼ってきたあの人は今、私と反対側の席に立っている。
髪の色も変え、顔をゴーグルで隠して私たちを睨みつけていた。

センパイ。どうして検事に?

そう聞いたらよかったのに。
でも、今の私にはそれすらできない。
少しだけ顔を傾けるとさらりと黒い髪が揺れた。
これは真宵の身体であって私のものではない。わかってる。わかっているからこそ聞けなかった。
私に、私に命があったのなら。私がまだ生きていて、弁護士としてあの席に立てていれたら。
あの人にそう聞けたのに。あの人に、堂々と会うことができたのに。

深い後悔が胸を打つ。何を思っていももう遅すぎるのだ。
私はなるほどくんの頭を肩に乗せたまま、まつげを伏せる。そして口を開いた。

「なるほどくん。あなたは弁護士をやめようと思ったこと、ある?」

私の質問になるほどくんは小さく息を飲んだ。
言葉を失ったようにも見えた。私はじっと彼の返答を待つ。
あんなに正義感の強かったあの人が、今は検事として生きている。
何が彼をそこまでさせたのだろう?その理由は、私にはわからない。知りたくても知りようがない。
肩先に乗せた温度が微かに動く。
なるほどくんが深い息を吐き出したのだと、後から気がついた。
やがてなるほどくんはため息を吐き出すように言った。

「ぼくには……千尋さんからもらったものを捨てることなんて、できません」

それだけがあなたを忘れずにいるたったひとつの方法なんだから。

そしてまた、静かに目を閉じる。

「……そうね」

想いが胸に詰まって私はそう一言呟くことしかできなかった。
それと同時に。
この世にもう自分がいないことを、とても悔やんだ。



 

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・.

 

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千尋さんとゴドーさんが再会するシーン、大好きなんですよ。
そのすぐ後ということで。
この時の二人の心境を想像するのは野暮な気もしますけど…
千尋さんスキーなら一度はやってみないとね!
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