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うるさい。うるさい。……うるさい。

「誰だよ……」

睡魔は退くことなく頭をぼんやりと包み込んでいて、悪態づいた声も寝ぼけていて。
ぼくは恨めしい思いで布団から右手だけを出す。
十月半ば、季節といえばまだ秋だと言うのに布団の外の気温は驚くほど低い。
あまりの寒さに、もう一度手を温かい場所に引っ込めようとする。
けれども、それを無遠慮に遮るのはけたたましい携帯電話の着信音。

「あー、もう……」

再び悪態をつき、恐る恐る右手を布団の中から伸ばす。
顔も頭も肩も身体も全部布団の中に沈みこませたままで。
手のひらをぱたぱたと左右に動かし、音源である電話を探した。
冷え切った床に触る度悲鳴を上げそうになりながら、やっとで捕まえた携帯を引っつかみ布団の中へと
そのまま引き込んだ。親指で適当にボタンを押す。

「もしもし……」
『あ!なるほどくん!?』

暗い声で応対したぼくの耳に飛び込んできたのは、明るすぎて笑ってしまうくらいに賑やかな声だった。
うまく働かない頭をなんとか動かしてぼくは電話の相手の名を呼んだ。

「え、えーと……真宵ちゃん?」
『そうだよ、どうしたの?なんで事務所に来ないの?』
「もう少しで行くから……ちょっとだけ待ってて……」

言葉を発するのも億劫でぼくはそう答えてそのまま通話終了のボタンを押す。
待ってて、と言った声が向こうに届いたかどうかわからないけれど、それを無視してぼくは再び目を閉じた。

ぼくが事務所の所長になってから二週間。
前所長である千尋さんの代わりに事務所を取り仕切るのは、公判経験が二回しかない所長のぼくと、
千尋さんの妹である(本人いわく)見習い霊媒師の真宵ちゃん。
そんな二人の元に舞い込む仕事なんてそうそうあるはずもなく。
最近のぼくはすっかりさぼり癖がついていた。
さすがにお昼前には行くようにはしてるけど、それでも十時過ぎに出社してしまう日が大半だった。
どうせ焦って行ったって依頼人は来ない。
今日も昨日と変わらずに、あの賑やかでちょっと変な子と共に一日を過ごすことになるのだろう。
それを考えるとどうにも起きる気力がわいてこない。

布団の中に頭を埋め、再び意識を夢の中に沈みこませようとした。
けれども、数分もしないうちに携帯電話が再び叫び始める。ぼくは枕に押し付けた顔を思い切り歪ませる。
握った拳で一度枕を殴りつけると、まだ手元にあった携帯を掴み噛み付く勢いでそれに
向かって言葉を投げつけた。

「真宵ちゃん?ちょっと待ってって……」
『おはよう、なるほどくん』

けれども、携帯からするりと淀みなく零れ落ちてきたのはあきらかに想像と違った声。
突然のことにぼくの意識は一気に覚醒する。

「ちちちち千尋さん……!!?」
『所長と呼びなさい。……って、あら。今、所長はあなたの方だったわね』

くすくすと綺麗に響く声。見えないけれど、首を傾けて楽しげに笑う彼女の様子がぼくに伝わってきた。
ぼくは慌ててがばりと身体を起こす。

「な、なんで……どうしたんですか?」
『真宵が私を呼んだのよ。もう、あの子ったら……こんなことで霊媒したりして』

後半部分の少し困惑したような姉の口調に思わず笑みがこぼれる。
それはぼくが今まで知らなかった、所長のもうひとつの顔だ。

『あなたも。あまり妹を困らせないでちょうだい』
「す、すみません」

笑っていたことに気がついたのか、千尋さんは口調を一変させて部下であるぼくを叱る。
ぼくはなぜか布団の上に正座して携帯電話の向こう側に耳を澄ました。

『所長なんだから、あなたは。七時には来なさい』
「え。七時は早……」
『何か言ったかしら?』

千尋さんの余裕たっぷりの問い掛けにぼくはいやいやいや、という声付きで何度も首を振る。

『依頼人が来ないからと言っても仕事が何もないわけじゃないでしょう?』

そう言って千尋さんは次々とぼくに指示を与え始める。
受け持つ事件の調査方法、家賃の振込先、文房具はどこが安いとかプリンターの修理はどこで頼むとか、
そしてなぜだか事務所の近くにある安くて美味しいラーメンのお店まで教えてくれた。
生前と何ら変わりないきちんとした抜け目のない命令にぼくは、感心するより先に条件反射で
ハイ!ハイ!とまるで子供のようにひとつひとつに元気な返事をした。

『あと、この間の裁判の資料もちゃんとまとめなさい。そのままにしておくなんていい加減にも程があるわよ?』
「それは……」

言いかけた言葉を寸前で飲み込む。

この前の裁判。それは、ぼくと真宵ちゃんが被告人となったあの裁判。
資料を見れば嫌でもその事件内容が目に入ってくる。
被害者・綾里千尋。 鈍器で一回殴られて死亡───
その彼女は受話器の向こうの空間で楽しげに笑う。

『ちゃんとチャーリー君にも水をあげてね。枯らしたら祟るわよ?』
「怖いこと言わないでください」

こうやって今まで通りに会話をしていてもこの人はもう、この世に存在しない。
突然思い出された事実にぼくは身体を強張らせる。
そのことを頭から追い出すようにぼくは上半身を持ち上げ、その身を布団からずるりと這い出させる。
携帯電話を片耳に当てたまま寝惚けてふらふらする右足を持ち上げて、ベッドからゆっくりと降りる。

「!」

足を床に落とした瞬間、ぼくは驚いて引っ込めた。
ひんやりとした感触。
瞬間、ぼくは思い出してしまった。

冷えていくもの。

ぼくは一度、目を閉じる。そしてゆっくりと開きながら口を開く。
いつもそうしていたように、誰よりも尊敬する憧れの弁護士に問い掛ける。

───ねぇ、千尋さん」
『何かしら?』

千尋さんもいつものようにそう答える。こうやっていつも彼女はぼくを導いてくれた。
ぼくの目指す道を教えてくれた。いつだって、そう、これからだって。

「……千尋さん、本当はまだ事務所にいるんでしょう?あのスーツ着て、竹刀なんか持って。
  ぼくを鍛えようとずっとずっと待ち構えているんでしょう?」
『ふふふ、よくわかってるじゃない。でも残念ね。……今はスーツじゃないわ』

最後までは言わなかったけれどぼくには伝わっていた。
受話器の向こうの彼女は今スーツなんか着ていない。あの茶色い細い髪も持っていない。
今話している千尋さんはもう何一つ持っていない。命も、この先続く未来も、もう何もかも。

『いきなり霊媒を信じろと言うのも難しいかしらね?でも、事実なのよ』

千尋さんの声はゆったりと、それでもぼくを諭す様に静かに響く。
ぼくはゆっくりと首を振ってその言葉を否定した。

「そんなこと信じられませんよ」
『あら。じゃあ私が嘘をついているのとでも?』

苦笑しながら答えたぼくに千尋さんはからかうような言葉を返してきた。
きっといつもの、見慣れた微笑みを浮かべているのだろう。ぼくはまた笑う。

「信じません」

笑いながら言い切った言葉に千尋さんは一瞬言葉を詰まらせる。
携帯電話によって繋がっている空間の向こうから、彼女が困惑している様子が伝わってきた。

『なるほどくん…?』
「千尋さん、嘘なんでしょう?死んだだなんて、本当は嘘なんでしょう?」

ぼくは笑った表情のまま彼女にそう尋ねた。千尋さんは小さく息を飲み、沈黙した。

だって信じられるわけがない。
毎日側にいて、ともに過ごしていた彼女が。
笑って話をして、時には厳しい顔でぼくを叱っていたあの千尋さんが。
死んでしまっただなんて。もうこの世にいないだなんて。
それで、霊媒で妹の身体を借りて帰ってきてるだなんて。
そんな馬鹿な事があるわけがない。だって、信じられるわけがないじゃないか。

こんな馬鹿げている現実こそが夢なんだ。

「嘘なんでしょう?」

吐き出すようにもう一度そう言って、ぼくは目を固く閉じた。そして強く祈る。

───千尋さん、どうか。嘘だって言ってください。

本当は知っている。わかっている。
ぼくはこの手で千尋さんの死を知っている。
抱きかかえた身体が徐々に冷えていく感触を、今もまだ忘れられないでいる。
生から死へ流れていく彼女をぼくは止めることができなかった。

それでも、どうしても、信じられない。

「ねぇ、千尋さん。嘘、…なんでしょう?」

涙を流しながらする問い掛けはすごく震えていて、きっと電話越しの彼女にはよく聞こえていないだろう。
ぼくは溢れてくる嗚咽を堪え、涙と鼻水で顔を汚しながら、それでも繰り返した。
電話の向こうの声は迷いながらもぼくの問い掛けに全て答えてくれた。
……その答えはぼくの望んだものじゃなかったけれど。

「死んだなんて嘘なんでしょう?」
「本当は、死んでなんかいなんでしょう?」
「お願いだから、嘘つかないで、千尋さん」

あきらめきれずにぼくは、何度も問い掛けた。嘘なんでしょう?と何度も何度も。
その度に彼女は答えた。

『嘘じゃないのよ』
『本当なのよ』 
『なるほどくん。本当のことなのよ』

言葉が耳に届く度、胸が痛んで苦しくなって。涙が喉に詰まって、息がうまくできなくなって。
それでもぼくは問い掛けることをやめなかった。
自分が納得できる、自分が望んだ答えを彼女の口から聞くために。

結局、ぼくが望んだ答えは一度も聞けずに。

『……ごめんね、なるほどくん』

最後にその言葉を残して電話は切れた。

 

●   
・.

 

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1-2と3の間の、なるほどくんの気持ちを想像してみたり。
いきなり霊媒といわれてもピンとこなかったんじゃないかなぁ。
死を受け入れるのには時間がたくさん必要だと思うから。
事実を認識することが怖い。ということで怖いお話でした。
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