「久しぶりね、真宵とこうしてご飯食べるのも」
ほかほかの湯気の向こうで笑うお姉ちゃんは、なんだかとても嬉しそうだった。
だからあたしもついにこにことしてしまう。成歩堂法律事務所の帰り、行きつけのラーメン屋。
その隅の席であたしとお姉ちゃんは並んで座っていた。
それぞれの前にはラーメンがひとつずつ。
こっちに遊びに来ていたはみちゃんが気を利かせてお姉ちゃんを呼んでくれたのだ。
「あ!お姉ちゃんの方がチャーシュー大きい!」
視線の先に見つけたお姉ちゃんのどんぶりのなかにあたしは思わず大声を上げてしまう。
お姉ちゃんは一瞬だけ目を丸くしたけど、すぐに表情を優しく緩めてチャーシューを
あたしのラーメンの上に置いてくれた。
ありがとう!と飛び上がらんばかりに喜ぶあたしににっこりと笑いかける。
やっぱりお姉ちゃんはさすがだ。なるほどくんはわけてくれなかったけど。
「じゃあたまごもらうわね」
追加されたチャーシューに多大な喜びを噛み締めている間に、すっと箸があたしの
目の前を通り過ぎていい感じに色が染まっていたたまごをさらっていった。
唖然としてさらった相手を見つめると、悪戯っぽい微笑が返ってきた。
形のよい唇に難なく吸い込まれていったたまごに未練を持ってもしょうがないので、
あたしは目の前に浮かぶ麺に集中することにした。
「おいしい!やっぱりみそラーメンはサイコーだよ!」
麺を一口、スープを一口。しっかり噛んで飲み込み終わった後に感激の言葉が口をついた。
お姉ちゃんが箸を止めてあたしを見る。
「真宵はみそラーメン大好きね」
「お姉ちゃんに初めてごちそうしてもらった時から大好きなんだもん」
大好きなものたちに囲まれて、あたしの顔はもう笑顔のままで固まってしまいそうだった。
みそラーメン、お姉ちゃん。それらを目の前にして笑顔以外の表情なんて作れるわけがない。
お姉ちゃんはあたしの笑顔の原因を目の前のラーメンだと判断したらしい。
ラーメンとあたしの顔を交互に見比べて、ぷっと吹き出した。
不思議そうに首を傾げるあたしにこんな話をし始めた。
「そういえば……あなたが中学一年生だったとき。どうしてもラーメンが食べたいってわがままを言って。
しかも欲張って大盛りを頼んで、結局食べ切れなくて。一緒に行った私が全部食べたのよね」
「……そんなことあったっけ?」
呆れたのか、小さくため息をつくお姉ちゃんの横であたしは小さくなってラーメンをすする。
お姉ちゃんは思い出をひとつ引っ張り出したことで、次々とそれ以外の記憶を思い出してきたらしい。
「あと私が中学三年生のとき……真宵はまだ小学生に上がる前だったかしら?
倉院の里から三つ先の駅のお店に、二人だけでこっそり出掛けて。
迷ってしまって、あなたは大泣きするしお金も足りなくなってしまって……」
「もーそんなこと覚えてないよ!」
困り顔で話し続けるお姉ちゃんの言葉を遮った。
そんな出来事は全然覚えていないけれど、自分の失態を次々と暴露されていくのはやっぱり恥ずかしい。
お姉ちゃんはそんなあたしの様子にくすくすと笑う。
最初に譲り受けた一番大きなチャーシューを腹いせとばかりに口に放り込んで思い切り噛みくだした。
飲み込んだ後の一息と一緒に、心の呟きが実際の言葉として零れ落ちてしまった。
「もう、なんでそんな昔のことばっかり覚えて」
言いかけてはっと思い当たった。
あまりに自然に流れる時間のせいで、すっかり忘れていたとても大事なこと。
───隣に座るお姉ちゃんはもういないんだ。
死んでしまったお姉ちゃんが持っているのは、思い出ばかりで、これからの記憶が増えることはない。
あたしは毎日を過ごし続けているのに。昔のことは日々薄れ、順次訪れる新しいことに目と記憶を向けていく。
生きていれば、それは、普通のこと。
「おねえちゃん」
「真宵?」
突然肩に寄りかかったあたしにお姉ちゃんは驚いたのだろう。箸を止めてあたしを見下ろすのがわかった。
あたしは目を閉じて頬を摺り寄せた。あたたかい。よく知っているにおいがする。
記憶のなかのお姉ちゃんは、こんなにおいがしてたんだっけ?
もっと、きれいな花の香りがしていたような気がするのに、どうしても思い出せない。
一緒にいたころの記憶が遠ざかってしまって、もう。
ふいに泣き出しそうになって唇を噛んだ。
「……おなかいっぱいになったら眠くなっちゃった」
誤魔化そうと呟いた声はあまりにも掠れすぎていた。どうしよう。ばれちゃったかも。
そう思っていたら。
「真宵はいつまでたっても子どもねぇ」
髪の表面をお姉ちゃんの手のひらがすべる。
ぱっと顔を上げると、大好きなお姉ちゃんの笑顔があたしを待っていた。
何年も変わらない笑顔が。
胸が締め付けられるほどにその優しさと笑顔が嬉しいのに、泣きたくなるくらいに切ないのはどうしてなんだろう?
口を開いたらみっともなく泣いてしまいそうだから、あたしは固く目を閉じてもう一度寄りかかる。
そして一回だけ頷いた。
うん。
いつでも、いつまでも、あたしは子どもだよ。
だからお姉ちゃん、いつまでもあたしのお姉ちゃんでいてね。
あたしはお姉ちゃんの妹なんだから。
何年、何年たってもね。
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