「ええい…!覚悟せい、悪代官ー!」
甲高い声。数秒後、上がる男の悲鳴。
「だからホウキを振り回すなって!!」
「あ。なるほどくん、いたんだ」
「いたんだ、じゃない!ここはぼくの事務所だろ!?」
「申し訳ございません、なるほどくん。…わたくし、お邪魔でしたか?」
「いやいやいや。春美ちゃんは邪魔してないよ」
「では、私が邪魔したと言うのか?君のために忙しいなか資料を持ってきてやったというのに」
「資料っていうか、トノサマンのビデオじゃないか!」
「なるほどくんも一緒に観ようよー!どうせお客さんなんて来ないしさ」
「き、傷付くなぁ…そう言い切られると」
リモコンを手に子供のようにはしゃぐのは、遠い過去に取調室で震えて泣いていた少女。
側には小さな女の子がいて、二人視線を合わせてはにこにこと笑う。
尖った眉を間に寄せ頭をかく男は、私を初めて敗北させた男。
私は唇を緩め、微笑みながらソファに身体を沈めた。
法律事務所には似つかわしくない派手な音楽がテレビから流れ始め、部屋の中はますます賑やかになった。
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あの事件から3年が過ぎた。
仕組まれた裁判の中で成歩堂が無罪を勝ち取り、私を降したあの裁判。
それからしばらくして、ついに私が被告となったひょうたん湖の事件。
様々な事件を経て私はここにいることができる。
私が彼らにしてきたこと、そしてそれにもかかわらず彼らが私を全力で救ってくれたこと。
過去を振り返れば振り返るほど、私は彼らに顔向けできないと感じているのだが……
「御剣検事!今の技、なんて言うの?」
「ム。トノサマンダイナミックハリケーンだな」
「それは、すごい技なのですか?」
「すごいんだよ、はみちゃん。御剣検事、なるほどくんにやってみせてよ!」
「やだよ!何でぼくなんだよ!」
真宵くんは私の右腕にしがみつき、輝く笑顔で見上げてくる。
左側にいる春美くんは驚いたように口に手を当て、指を差し抗議する成歩堂と私を見比べていた。
あの頃、法廷に集まっていた私たち。それぞれが悩み、悲しみ、そして苦しんでいた。
今こうしてともに時を過ごすなど、誰が想像していたのだろうか。
いや、たった一人だけ想像していた人物がいるのかもしれない。
私はふと口元を緩めた。そして眉を吊り上げ怒る成歩堂に人差し指を向けた。
突然指を向けられて、成歩堂が目を丸くする。
「君とトノサマンは似ていると思ったことがある」
「え」
私の言葉にもっと目を丸くした成歩堂に、真宵くんが明るい笑い声を上げた。
「あーそうだね、そういえば似てるかも。あのあの、死んだように冷たく光る目とか」
「勝手に人を殺すなよ!」
「言われてみればおもかげが似てますわ、なるほどくん」
「は、春美ちゃんまで…」
異議あり!と叫び自分の頭を抱えた成歩堂の姿に、私たちはまた笑った。
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「君も子供じゃないんだからさ。いい加減、トノサマンは卒業したら?」
言われたことをまだ根に持っているのか、成歩堂は不機嫌そうに唇を尖らせてそう言った。
私はソファに腰掛けたまま、デスクにつく成歩堂へと視線を投げかけた。
真宵くんと春美くんが帰ってしまった事務所はすっかり静まり返っている。
私は仕事を再開した成歩堂の邪魔をしないよう、ソファに座り新聞を読んでいたのだった。
開いていた新聞を畳むと、成歩堂に問い掛ける。
「ヒーローの存在を信じるのは子供だけだと言うのか?」
「いやいや、そういうわけじゃないけどさ」
うーん、と小さく唸ると成歩堂は考え込むような表情をする。
「でもさ。トノサマンに似てるって言われても嬉しくも何ともないよ」
しばらくして、成歩堂はその表情を苦笑いに変えた。私はそんな彼に向かって微笑みを返した。
「いや、先程のあれは冗談だろう。見た目の問題ではないと思うが」
「そうなのか?」
最悪の状況から大逆転を起こす。その奇跡の逆転劇を起こす男が、現実に存在している。
真宵くんも春美くんも成歩堂をヒーローとして、トノサマンに重ねたのではないか。
私がそう言うと、成歩堂は照れたように頭をかく。
「ははは。そんなたいした男じゃないけどね」
「まったくだ」
そう返した私に成歩堂は頬を膨らませた。
「君のことだって弁護したじゃないか」
「見ているこちらもハラハラするような綱渡りの弁護だったな」
「うう…確かにあの裁判は、今思い出しても心臓に悪い…」
「自分の中に理想の存在を住まわせる。それは大人でも子供でも同じだろう。
……現に私はそういう風にして今までやってきた」
そう静かに言葉を続けると、成歩堂は笑みを引っ込めて神妙な顔をする。
私は目を閉じ、胸の中のヒーローたちを思い浮かべる。
「弁護士であった父。師匠であった狩魔検事。…そして」
一人一人の名を確かめるようにゆっくりと呟く。
最後に目を開け、目の前にいる男に指を差し向けた。
「君だよ、成歩堂」
私の言葉に成歩堂は目を見開いた。そして唇をぎゅっと結ぶと、答えるように一度だけ大きく頷いた。
この世にヒーローなんていないと思っていた。
正しいものが必ず勝つなんて現実世界では考えられないことだ、と。
架空のヒーローであるトノサマンに傾倒し、現実を憎んだこともあった。
───しかし。今はただ純粋にトノサマンを好きでいることができる。
そうすることができたのも、全ては君が。
「……君は気付いていないの?」
「ム?」
気がつくと成歩堂はデスクを離れ、私が座るソファの近くに立っていた。
目が合うとにっこりと笑う。純粋な、そしてひたむきなあの瞳で。
「ぼくが初めてヒーローの存在を知ったのは、いつだと思う?」
「…子供の頃の君は確か、ミラクル仮面に夢中だった」
「違うよ、御剣」
首をゆっくりと横に振り成歩堂はそれを否定した。
「君がぼくを救ってくれたとき。あの学級裁判のときからだよ」
そして先ほど私がしたように、今度は彼が私に指を差し向けた。
「君がぼくにとってのトノサマンなんだよ。あの頃から。そして今でもずっとね」
そう言って成歩堂は、子供のように笑った。
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