I wanna see you


ふと視線を巡らせた視界に深い赤が過ぎった。ぼくはひたすらお礼を繰り返す依頼人の家族に逆に頭を下げるとすぐにその場を離れた。
交互に運ぶ足に派手な音が上がる。すれ違いざまの人々がぎょっとしてこちらを見るのは気にならなかった。
今ぼくの気持ちが向かっているのは、ただ一点のみ。
「御剣!」
一足先にバスに乗り込んでいた御剣は、ぼくの姿と呼び掛けにいつも不機嫌そうに細められている目を見開いた。二人掛けの椅子の通路側に無理矢理自分の身体も押し込む。
二人掛けとはいえ、男性の平均身長を上回る二人が同時に腰掛けてしまえばかなり狭くなってしまう。身長に加え御剣の体格はかなりいい。検事のくせになんで鍛えているんだろうとこっそり思った。
「偶然だな」
様々な意味を込めてそう言う。御剣は素直に頷いた。
裁判所の前からバスは出ているけれど乗ったのは数えるくらいしかない。いつも電車か、警察署や現場に行く時は徒歩やタクシーを使ったりするからだ。
それは御剣にも言えることで、大抵は糸鋸刑事の車や自分の車を使っているはずだった。
「急にどうしたのだ」
「いや、別に。今日はバスで帰ろうかなーって思ってただけ」
さらりと嘘をつく。御剣は深くは追求せずにそうかと答える。そう言う君こそ、と尋ね返そうとした時、あまりの狭い場所に座っているせいでネクタイがおかしな所に引っかかり斜めにずれてしまった。
御剣はそれを見て微笑んだ。それは呆れのようにも見えた。
でも、微笑みを向けられた自分がどう解釈するかはぼくの勝手だ。
ぼくはそれを優しさのものと受け取り、自分も唇を緩めた。

───急にどうしたのか、なんて。そんなの決まってる。その堪らなく愛しい笑顔が見たくて、ぼくは君の隣りに来たんだよ。

その内にバスの扉は閉まり、ゆらりと発車する。車体の大きいバスは普通の車よりも揺れが大きい気がした。カーブを曲がる度、停止する度。隣り合っている御剣の肩と自分の肩がぶつかり、共に揺れることが何だか滑稽で可笑しく思えた。
親友兼恋人と言っても、こうして御剣と身体を触れさせながら話す機会はなかなかない。
御剣は忙しいのだ。気付いたら海外研修へと行き、また気付いたら戻ってきたりする。
お互いの気持ちを知っているとはいえあまりにも扱いがひどすぎるんじゃないのか?
思い余って以前そう聞いてしまった時に、御剣はしれっと答えた。好きに決まっているだろう。
そして笑って、ぼくの髪を撫でた。
別にその言葉を疑うわけじゃない。でも、気持ちと行動が伴わない御剣と付き合うのはもどかしいのだ。逃げられている気がして余計追い掛けたくなる。
だからこうやって、今日みたく背中を追い掛けてしまうのだ。伊達に十五年間も追い掛けてない。
バスのエンジン音が響く車内で、当たり障りのない会話を続けているだけで。
心臓が騒ぎ始める。言葉を持たない心臓が鼓動を使ってぼくにこう語り掛けてくるのだ。

抱きしめたい。好きと言ってほしい。キスしたい。
名前を呼んで、ぼくを好きと言って。

そんなことこんな場所で言葉に出来るはずがない。
最もたとえ二人きりだったとしても、そんな恥ずかしいことは言えそうにないけれど。
ああ、愛しい。
ぼくはこっそりとその気持ちを自分で抱え込む。外に溢れて出てこないように。
愛しい、すごく愛しいのに。
今こうして願うことはひとつも実現されないのだろう。そう思ったら悲しくなってしまった。
目の前にいる相手にこうして焦がれるのはとても、とても切ない。

「成歩堂」
ふいに呼び掛けられてぼくはぎょっとして身を引いた。
ひたすらに望んでいたことが脈絡もなく叶えられ、喜びよりも驚きの方が勝ったのだ。
気付けばあと数分で御剣の目的地へと着くようだった。御剣が大仰な溜息を吐く。
御剣は窓際に座っているから、降りるにはぼくが退かなければならない。
そう思ったら足が動くことを拒んだ。身体は正直だ。
「成歩堂?」
立とうとしないぼくに御剣は眉を寄せる。ああ違う、君を困らせたいわけじゃない。
御剣の指がぼくの肩に触れた。
もう少しだけ一緒にいてほしい。そのまま手に触れて。どこにも行かないでほしい。
でも、そんな子供みたいなことは言えるはずもなかった。
ぼくはのろのろとそこを退こうとした。と、御剣がその手を掴む。
降車ボタンを押さなかったことで御剣の降りるはずだったバス停はあっさりと通り過ぎてしまった。ぼくは立ち上がることすら出来ずに腰を下ろしたまま御剣を見る。
「降りないのか?」
「ああ。予定変更だ。君の事務所で紅茶でもいただこう」
御剣が口にしたその予定はどう考えても火急のものとは思えなかった。
嬉しいけどいいのかな、と心の中で呟きもう一度御剣を見る。紅茶なら、御剣の執務室には高いセットもあって、ぼくの事務所だとティーパックくらいしかないのに。
「わざわざぼくのところで飲むの?なんで?」
「君が好きだからだ」
質問に返ってきたのは恥ずかしすぎる言葉で、ぼくは思わず人目をはばからずにぎゃっと叫んでしまった。慌てて口を押さえるぼくに御剣は笑みを浮かべつつ言う。
「すまない、言葉が足りなかった。君の淹れた紅茶が好きだからだ。あの安上がりで庶民的な味が時々無性に恋しくなる」
こいつって口も性格悪いんだよな、と改めて思う。優位の笑みを浮かべる御剣を睨み付けることで応戦した。でも、ぼくの両手は先ほど悲鳴を上げた口を隠したままだ。
どうしてもニヤついてしまうこの唇だけは、絶対に見られたくない!




阿部真央の曲が元ネタです
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