ラフ・メイカー


とりあえず、ここでしばらく、ぼくと暮らしてみるかい?
今は無理なのはわかってるよ。……でも、いつかは。
ぼくのコトを“パパ”って呼んでほしいな。

わかってる。
それは本心から出た嘘のない言葉だってことは。
あの時のぼくは、孤独に潰れてしまいそうで、寂しくて寂しくて。
同じように孤独だった彼女の手を必死に掴んだんだ。
でも、嘘がなかったからと言って後悔がひとつも無いとは限らない。身勝手だとは思うけれど、本当のことだ。
現にぼくは今、こうして扉を開けることができないでいる。

「パパ?」
最初は控えめだったノックの音が次第に強くなってきている。背中に微かに触れる衝撃でぼくはそれを悟った。それでも足は動かない。扉を背に座り込み、自ら壁となって。
ぼくは彼女の声を聞いていた。
「……みぬきちゃん?」
普段よりも腹に力を入れてそれだけ返した。それだけで胸の下の辺りがわなわなと震える。
堪えるために息を吸い込んだ。と、同時にずるずると鼻水も吸い込んだ。
なんて情けないんだろう。こんな姿、誰にも見せられない。
手の甲で顔を拭った。涙だか鼻水だかわからない液体が付いてしまった。
何がきっかけかなんてもう思い出せない。本当に何でもないことがきっかけだったと思う。助手が残していったお菓子の残りとか、そんなくだらないもの。
でも、それだけでぼくの涙腺は蛇口を捻ったように決壊してしまい涙が止まらなくなってしまった。
小学校からみぬきちゃんが帰ってきても涙は止まらなくて、一番奥の所長室に一人閉じこもる格好となってしまった。自分でも何をやっているんだ、とは思うもののこんな顔では外に出ることすら叶わない。
鼻をすすり上げた時、絶妙なタイミングで少女が言う。
「パパ。みぬきがマジック見せてあげるよ!おもしろいよ、そしたら笑えるよ」
人の心を感じ取れるような、妙に鋭い勘のある子だと思っていた。
きっとぼくが情けなく泣いてることもお見通しなのだろう。恥ずかしさと情けなさに拍車がかかった。
「今仕事の片付けしてるんだ。悪いけど後にしてくれないかな」
感情を出さないように言ったせいか思ったよりも冷たい口調になってしまった。でもフォローもできないほどにぼくは疲れていた。依頼人に逃げられ、バッジを剥奪され……いくら泣いても足りないくらいだ。
いいからどっかに行ってくれ。そこにいられたら泣けなくなってしまう。
娘とし、受け入れたはずの幼い子供にまで当たってしまう自分が辛かった。
顔を伏せて両膝に埋めた。じんわりと視界が歪んでいく。
洪水を起こした部屋にもう一度ノックの音が響いた。───まだいたのか。
「後にしてって言っただろ?向こうに行っててほしいんだ」
冷たいと思われても構わない。ぼくは思い切りそう言い放った。しばらく、扉の向こう側が困惑の空気で包まれた。ぽつりぽつりと、幼い声が訴えてくる。
「みぬきのマジックね、すごいっていつも言われるの。笑えるよって、元気になるよって、言ってくれるの、みんな。……パパ、本当に見たくないの?」
言葉の最後が弱々しく消えていく。勘弁してほしい、とその時本気で思った。
泣かせるために引き取ったわけじゃないのに。いつも笑顔でいさせてやりたいと思ったからぼくは、彼女と共に過ごすことを決めたのだ。
その彼女が泣いてしまっては本末転倒だ。ぐしゃりと髪の毛をかき混ぜた。
とても小さな泣き声が背後から聞こえてくる。懸命に堪えるけれど、耐え切れずにしゃくりあげる声。
いつまで出るんだろうと思っていた涙が更に量を増した。みぬきちゃん、君が泣いてちゃしょうがないよ。何のためにぼくがバッジまで失ったと思う?
あまりの身勝手さに自分の腕に顔を押し付けた。嗚咽のような声を必死に噛み殺す。お父さんと君は関係が無いのに、いつの間にか責めている自分がいる。情けない。ふがいない。
二人分の泣き声が扉越しに重なった。





いつまでそうしていたのだろうか?
背中の後ろに置いた扉が温かい気がする。たぶん彼女が背中合わせに座っているのだろう。
泣きすぎでぼんやりと重たいまぶたを動かし、背後に意識を送る。
「……そんなんで、マジックなんてできるの?」
ぼくを、笑わせることなんてできるの?
ひどい声だった。すっかり気力を無くしたぼくはそんなことを聞いてみる。
たぶん、できないだろう。幼い子供に酷なことを聞いている。そう自覚はあった。
しばらくしてぼくと同じように泣き疲れた声が返ってきた。
「それだけが、みぬきのお仕事なの。パパに……前のパパに、言われてたから。人を笑わせて喜ばすことがみぬきのお仕事なんだよって」
言いつけを必死に守ろうとする健気な答えに胸が痛んだ。
それを忠実に守った結果、父親は消えてしまったのだけれど……
そう思った途端にどうしようもなく彼女が可哀想になってぼくは扉を開こうとした。けれど、困ったことに扉は開かない。いや、開けないのだ。
止め処なく流した涙と感情によって自分の中で躊躇いが生まれていた。
こんな風に、自分が切羽詰れば相手を思いやることができないぼくに父親が務まるのだろうか。今更ながらの疑問と不安が心を重くしていた。
怯える指を何とか動かし、鍵だけは開けれた。その音は彼女にも届いたはずだ。
扉を開き彼女から飛び込んでくるのをぼくは期待した。でも、扉はしんと沈黙したまま開く気配はない。
……どうしたんだろう?
疑問を持ったと同時に答えが閃いた。まさか、いない?
逃げてしまったのだろうか。こんなぼくとは一緒にいれないと。ぼく一人、置いて。
───信じた瞬間に裏切られたのだ。
薄く広がっていた絶望が濃く深くなっていく。
冗談じゃないと立ち上がった瞬間、扉がこちら側に向けて開いた。
にゅっと自分以上に高い身長の人影が突然現れ、ぼくは後ずさりながら悲鳴を上げた。
その隣には、とても小さな女の子。
彼女の腕が動くのと同時に人影も動く。ああそうだ、これは彼女が一番に得意とするマジックのひとつ。
泣いたことで真っ赤になっている瞳は気にせず、彼女はあどけない唇を無理に上げた。
そしてどこから持ってきたのか小さな手鏡をこちらへと突きつけてきた。
「パパの泣き顔、笑えるよ。ぼうしクンも笑ってるよ」
みぬきの思わぬマジックに、ぼくは泣いていたことも忘れて見事に声を上げて笑ってしまった。





BUMP OF CHICKENの曲が元ネタです
×閉じる