08.通信終了後の携帯にキス
ベッドに身を投げ出す。
ホテルの、決して上等ともいえないスプリングが小さく軋んで私の疲労した身体を受けとめた。
もう何ヵ国目かもわからない研修。
自ら望んだこととはいえ母国以外の国に長期間滞在することは、身体も気力も疲労させる。
何かに導かれるようにして眠りの世界に吸い込まれていく。
しかし、落ち切る寸前に。
鳴り響く音。
私は閉じていた目を開き、枕元に置いてあった携帯電話を掴む。
『もしもし』
「ああ、君か」
白々しい。
掛ける相手をわかっているのに敢えて名前を呼ばなかった彼と、掛かってきた相手がわかっているのにわざと納得した声を返した自分が可笑しくて笑いそうになる。
『ああ、よかった繋がって。これで繋がらなかったら寝るとこだったよ』
こちらはまだ夜の十時過ぎだが、時差のある日本はかなり遅い時間らしい。
日本と日本以外の国。
数ヶ月も離れる私たちにとって、時差に合わせて掛け合う短い電話は欠かせないものとなっていた。
何も用事がない電話を受けるのももう慣れたものだった。
特に何かを話すわけではない。ただ言葉を投げ合う。それだけの通信。
それをわかっていても、ひねくれた私は彼にこう尋ねるのだ。
「何か言いたいことでもあるのか?」
『別にないよ。もう切ろうか?』
「ああ」
そうして電話は切れる。
普通の恋人同士ならば声が聞きたかった等と甘い言葉を囁き合うのだろう。
だが、私と成歩堂の間にそんな会話がされることはない。
……会話は、されなくても。
しばらくして携帯電話は再び鳴った。聞こえてくるのはあの男の声。
『御剣?』
「何だ。やはり何かあるのか?」
『別に。……たださ。今話しとかないと後悔しそうだから』
「そうか」
そして交わされる他愛もない会話。切れる通話。
また、しばらくして。
『御剣?寝てる?』
「起きているから電話に出たのだが」
『そっか。いや、あのさ、今話さないと後悔すると思って』
「君の今は何回あるのだ」
『さぁね』
呆れて尋ねたのに、あっさり返されて怒りよりも先に笑いが込み上げる。
短い通話の後、電話を切り目を閉じた。
何度も使用したためか、それは温かくなっていた。 何度会話を交わしても、決して触れることの出来ない相手の温もりを思い出した。
恋しさに堪らなくなり、携帯電話に軽くキスをした。
数秒後、またそれは私を恋しがって鳴り始める。