top>うら> 遠い遠く

 


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視界にふと映った、どこか遠い場所の景色。

ぼくは落としていた視線を持ち上げた。
そして、そのまま固定してテレビに映し出される海外の景色をじっと見つめた。

(今頃あいつ……どこにいるんだろ)

小さくため息をついた後、ぼんやりと考える。
理想の審理の在り方を追求する、なんてクサい事を言って御剣が日本を離れたのは数ヶ月前のことだ。
ぼくは両目を閉じて、上気した頬で各国の法廷の様子を語る御剣の姿を思い出した。
この前の事件の時に一時帰国した御剣は、久々に会ったぼくに自分が今いかに勉学に夢中なのか、
いかに満たされているのか…聞いてもいないのに延々と説明してくれた。
ぼくは苦いビールをちびちびと飲みながら、御剣の話に付き合っていたのだけれど。

(いやいやいやいや…)

俯き、頭を横に振る。
奴が検事として人生を歩んでいること。それを全くの後悔もなく、ぼくに堂々と告げることができること。
それはとても喜ばしいことで、ぼくも素直に嬉しい。
法廷に検事として立つ御剣の姿はとても好きだし、同時にぼくの目標でもある。
行き先は知らずとも、世界各国を飛び回り活躍する親友の話を聞くだけで、
ぼくも十分に満たされるはずだ。
───そのはずなのに。

何の愛想もない絵葉書が来たのは、いつのことだったか。
……いや。以前のことを思えば絵葉書が自分に来たこと自体、奇跡に近いことなんだけど。

「贅沢かな、ぼくは」

ぽつりと呟いた自分の声がどこか寂しげで胸が詰まった。
あまりの女々しさに自分で自分を笑いたくなる。一体いつからこんな風に、と自分を顧みようとしても
頭の中に浮かぶのはたった一人の男の姿。
澄ました顔でぼくを見つめ、意地悪く微笑む。そしてその目を細め、情欲が宿る瞳でぼくを見据える。
そのまま伸ばされる手。指が触れ、その部分から生まれるのは何とも言えない幸福感と快感と。
ぼくはため息をつく。
掴んでいたリモコンを握り締めてテレビを消した。音が消え、一瞬で静まる世界。
視線を色の消えた消えたテレビに固定したまま、指だけを下に降ろす。
足の間に指を触れさせた、その時に。

「!!」

静かな空気を切り裂いて電話が音を発した。ぼくは我に返り、慌てて振り返る。
けたたましくぼくを呼ぶ受話器に手を伸ばし耳元に当て。息を吸い込み、答える。

「もしもし…?」
───成歩堂か?』

零れた囁きに、息が止まりかけた。
電話の相手はそんなぼくの様子に気がつくことなく、今自分のいる国と場所と状況を簡潔にぼくに伝えた。
ぼくは下ろしていた手を持ち上げて、受話器に添える。御剣の声をもっと近くに感じるために。

「そうか。やっとホテルで一息ついたところか。…珍しいな、電話してくるなんて」
『うム。時差の関係でなかなかできなかったのだが。ちょうどいい時間帯だったのでな』
「ふーん。こっちは今、夜だよ」

久々に聞く御剣の声は相変わらず愛想がなくて、冷たくて。
それでもぼくはこみ上げてくる笑いを我慢することができなかった。
耳の側で震える、懐かしく聞き慣れた奴の声がくすぐったい。
きっと今ぼくはものすごく緩んだ顔をしているのだろう。相手に顔の見えない電話でよかった。
そう思った矢先に、御剣が何気なく問い掛けてきた。

『君は何をしていたのだ?』
「え」

それは本当に、何気ない質問だったんだけど。
ぼくはものすごく慌ててしまった。慌てたまま何もしてないよ、と答えたけれど御剣はそのぼくの
様子が気になったようだ。声を潜め、また問い掛けてきた。

──何を慌てている?』
「な、なんでもない」

訝しげな御剣の声にぼくの心拍数はさらに跳ね上がった。
受話器の向こうで御剣が、いつものように眉をしかめている様子が空気に乗って伝わってくる。
ぼくは平常心を必死に取り戻そうと、深い息を吐き出した。
そして不穏な雰囲気を発する受話器に向かって言い訳をする。

「テレビ見てただけで何もしてないよ。ただ…」
『ただ?』
「……君がいないからさ」

笑いながら、冗談めかして言うつもりだったのに。
本音の割合が多すぎたらしい。まるで拗ねてるかのようなぼくの口ぶりを、御剣はどう思ったんだろう。
恥ずかしくて今すぐに電話を切りたい衝動に駆られたけど、相手はいま遠い国にいる。
どうせ、ぼくの顔なんて見えないんだから。ぼくは照れくささを捨てて、もう一度呟いてみた。
とてもとても小さな声で、ただ一言。……君に会いたいよ、と。

『成歩堂。──今は自宅にいるのか?一人か?』

数秒間の沈黙の後。
御剣は低い声でそう問い掛けてきた。ぼくは首を傾げつつも答える。

「うん……一人だけど?」
『では、服を脱ぎたまえ』
「はぁっ!?」
『服を脱げと言っている』

予期せぬ展開に思わず大声が出た。御剣はそんなぼくの声を冷静に受け止め、もう一度命令する。
ぼくはこれ以上ないくらいに動揺して、受話器に向かって叫んだ。

「そんなことできるわけないじゃないか!…何考えてるんだよ!」
『無論、君のことだ』

あっさりとそう返され、ぼくは一瞬で言葉を忘れてしまった。

『君に触れたいが…それはできない。せめて、君を感じさせてはくれないか』

動揺した頭にストレートな告白を食らったぼくは、何も言えずにただ、呆然として受話器を耳に
当てることしかできなかった。淡々と告げる御剣の声が耳から身体の中に流れ込んでくる。

『成歩堂』

御剣の、声。
その囁くような、甘えたような呼び方をぼくはよく知っていた。
それはあの、身体を重ねる前のものによく似ている。
名を呼ばれ振り返るぼくを待ち受けているのは、欲を孕んだ御剣の瞳。

「御剣……」

ぼくも声を返した。いつもそうしていたように。
今の二人の間にあるのは、途方もない距離と空間。それを意識した途端どうしようもない切なさを感じ、
ぼくは目を閉じてそれに耐えた。その代わりにぼくは、自分の下半身に手を伸ばす。
そして布の上からそっと撫でる。ぼくは乾いた唇を動かして遠い場所の相手を呼んだ。

「御剣……御剣も、触ってるのか?」
『ああ…成歩堂』

御剣の声が遠くから、けれどもすぐ近くで響く。
耳元に触れるはずのない吐息を感じ、ぼくは身体を強張らせた。
その間にも御剣は受話器の向こうから情欲の言葉を投げつけ、ぼくを誘う。

『覚えているのだろう?……私が君に、どのように触れていたのか』

忘れるはずがない。
ぼくは言葉を返えさずに、熱くなった手のひらを上下に動かす。
摩擦が生まれるとともに甘い快感も増えていく。
冷たい受話器から御剣の声が伝わってきて、まるで耳にキスされてるような気がしてきた。

『そうだな…君は首筋が弱かったな。何もしないでも、ただ息を吹きかけるだけでよく反応して』

ふ、と受話器の向こうで御剣が笑ったのがわかった。それだけでぼくの身体は跳ね上がる。
御剣の微かな息を首の後ろに感じたような気がして。

『感じたのか?……敏感な男だな』
「うるさいな…ほっとけよ」

息も声もこんなにも近いのに、何一つ自分の身に触れてこないのがもどかしい。
ぼくはズボンのチャックを降ろし、下着を少しだけずり下ろす。
外の空気と自分の視線に触れたそれは、透明な液を滲ませながら赤く色づいていた。
それを自分の手のひら全体で握り締めると、思わずため息が出た。
そのまま腕を上下に動かし、扱いて快感を与える。

「……ッ、…は、っ…」
『成歩堂……もっと声を出せ』

煽る御剣の声もまた、ぼくの微かな息遣いに煽られているようだった。空間にお互いの息が交差する。
本当だったら今頃、御剣の指はぼくの皮膚に触れ、舌はぼくの唇を割り、熱い昂ぶりを
ぼくの身体に押し付けてくるはずなのに。
目を閉じて御剣の姿を頭に鮮明に思い浮かべ、泣きそうになる。
触れられないかわりにぼくは、自分の唇を何度も受話器に当てた。
でも受話器の中にいる御剣にはキスできない。そして、見ることすらできない。
胸を襲う寂しさを忘れるためにぼくは、さらに手の動きを激しくした。
夢中で扱きすぎて、左手の中の受話器を落としそうになる。慌てて受話器を耳に当てなおした。
張りつめたそれは硬度を増し、音もなく液を漏らしていた。
次に続く快感を欲して、ぼくは上半身を少し前に屈ませる。

『成歩堂…次はどこか、わかるな?』
「……ッ」

きっと、ぼくと同じように興奮しているだろう御剣の声が意地悪く変化したのがわかった。
ぼくは無言で首を振る。
見えていないはずなのに、御剣はもう一度ぼくの名を呼んで次の行為を促した。

『成歩堂』
「いや…だ、御剣…」

涙ながらに拒否しても御剣の声はぼくを許さない。腰を少し上げ、右手でベッドの下を探る。
奥に仕舞っておいたローションを取り出し、片手を使って右の手のひらの上に零す。
ぼくは左手で受話器をしっかりと支え、震える右手をゆっくりと後ろに回した。
沈黙がまるでぼくを催促しているように流れる。それでもぼくは、それ以上指を進ませることができなかった。
恥ずかしくていたたたまれない。
息を吸い込むと身体が揺れて、縁に溜まっていた涙が頬に流れ落ちた。
自分でも不思議だった。───どうして、泣くことがあるのだろう。

『成歩堂……』

遠くに存在する御剣の声が耳に届いたとき。 限界が来た。
ぼくは痛いくらいに受話器を握り締め、後ろに回っていた腕をまた動かして。

───あ」

蕾むその部分に、自分の中指を埋め込む。
肉を裂く痛みと何とも言えない生暖かい温度に思わず声が漏れる。

『成歩堂…入ったか?』

御剣の問い掛けにぼくは何度も頷いた。でも、声を出さなければその答えは御剣の耳に届かない。
ぼくはほとんど息だけの声で御剣の名を呼んだ。御剣は甘い声で囁きながらぼくに命令をしてきた。

『もう一本入れて……ゆっくりと動かせ。指を中で動かすと、気持ちがいいだろう…?』
「あっ…そんなこ、と、…できな…っ」
『……いつもしていた事だぞ』

御剣の声は冷静を装っていたけど、混じる荒い息の音を隠し切ることはできていなかった。
きっとその、いつもはぼくの中を乱暴にかき混ぜる指で自身を擦り上げているのだろう。

───遠い場所にいる相手と、繋がる空間で、お互いに交わらないままに、性行為をしている。

その事実がぼくの身体と声をさらに震わせた。
ぼくは片手で受話器を握り締め、もう一方の手をもっと奥に進ませた。御剣がいつも感じているだろうぼくの
中の温かい感触が、指を包む。湿った感触、ぬめぬめと指を伝う液体。
ぼくは堪らずに声を上げ、受話器の向こうの相手に懇願した。

「み、みつるぎ…っ、もう、やめ…たい…ッ」
『駄目だ、成歩堂』

───もどかしい、もどかしい。触れて、挿れてほしい。

激しい欲望がぼくの身体を支配する。
けれどもそれは何一つ叶うことなく、決して叶わないと思えば思うほど、欲しくて欲しくて堪らなくなる。
ぼくは泣き叫ぶように御剣の名を呼んだ。

「御剣、…もっ…おかしくなる…っ!」
『おかしくなるといい。……君の姿は私には見えていないのだからな』

歯を食いしばって俯くと、赤く立ち上がっている自分自身が見えた。
ぼくの左手は受話器を、右手は後ろの部分を。そこに触りたくても触れられない。腕が足りない。
ぼくに触れる腕がない。…御剣が、いない。

「御剣…ッ!」
『成歩堂……』
「もっと、ぼくを呼べ…っ…御剣、みつるぎッ…!」

吐き出すように名前を呼ぶ。
同じ様に息の上がった恋人を何度も、もっと側に呼びたくて何度も呼ぶ。
御剣は荒い息を吐き出しながらそれに答えた。
同時に右手の指が奥に滑り、ぼくの内部にまた刺激を与えた。

「……ッ!…も、もう…っ!」
『成歩堂…っ……成歩堂…ッ!』
「みつる───

熱を孕んだ御剣の声が、ぼくを呼んだ時。
目の前が弾けた。ぼくはその衝撃に思わず受話器を落としてしまった。激しい音を立てて床を転がっていく。
ぼくは乱れた息を吐きながら、収めていた指を引き抜いた。
濡れた指を見つめ、情けなさに自嘲の笑みがこぼれる。
達したわけではなかった。じくじくとこの身を蝕む欲望は、さらに強いものとなってまだ残っている。
左手を動かして、手放した受話器をもう一度耳に当ててみる。
数秒前まで愛しい恋人の声を吐き出していたそれは、無機質な一定音をぼくの耳に届けてきた。
それがどうしようもなく、切なくなってぼくは。

「御剣……」

もう一度、彼の名を囁く。答えは返ってこない。

───何かを失ったわけじゃないのに、どうしてこんなにも。

するりと頬を、何かが滑り落ちていった。







●   
・.

 

















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テレフォンなんとやらです。3以降のお話ということで。
遠距離恋愛ならこれはやっていただかないとね!
実はコレ、後日談がありまして。
翌日、検事はジェット機をチャーターして緊急帰国します。
辛抱たまらなくなりまして(笑)
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