top>うら>

 

 



「あ、…うぁ…っ」

体勢が苦しくて、何とかしたくて、手を下について、上半身を少しでも動かして。そうしただけで繋がった部分が引きつる。
ぼくは歯を食いしばって耐えた。自分を襲う痛みと、それにとてもよく似た甘い疼きに。
御剣は涼しい顔で上に乗ったぼくを見上げる。ぼくの中にある成長をしきった性器とその表情がアンバランスすぎて、腹立つどころか感心すらしてしまう。

「成歩堂」

静かに名前を呼ばれる。動け、と声にならない命令を聞いた気がした。
言われなくてもとぼくは相手を上から睨み付ける。
この体位の場合、どちらに主導権があるかなんてわかりきってることだ。
でも、ぼくは不満を口にすることなく素直に動き始めたのだった。

「ふ…ぅ…っ、あ」

騎乗位なんて特に珍しくもない。過去に何度か経験したことだってある。
でもそれは、自分が下の場合という注釈が当然入る。
男の上に乗って、動く。そんなの慣れてないから動き方なんてわかるはずもない。腰を少し上げてみたり、下してみたり。
何となくで適当に動くものの疑問と困惑ばかりが頭に浮かんでいく。
これが本当に気持ちいいんだろうか?
おずおずと慣れない動きを繰り返しつつ、横たわったままの御剣を睨み付ける。
ペニスを包む直接的な快楽のせいか、ぼくを観察する悪趣味な性格のせいか、腹の立つ微笑みをうっすらと浮かべてこちらを見上げる御剣と目が合った。
ぎこちなさすぎる動きを自覚しつつ、挑む視線でそれに答えた。きっと涙目になってるに違いない。
自分の置かれている状況を忘れたくて、早くこの屈辱的な行為を終わらせたくて腰を動かすのになかなか終わりは見えてこない。

───気持ちいい、けど、物足りない。

自分じゃ動くだけでは手が届かない。自分だけが欲しがってるだけじゃ、駄目なんだ。御剣もぼくを欲しがってくれないと。
自分が腰を落とし、御剣が腰を上げる。二人のリズムが上手く噛み合った時が最高に気持ちがいいのに。

「降参か、成歩堂」

ゆっくりだった腰の動きがついには止まり、ぼくが身体の上で静止してしまった時になってようやく御剣は口を開いた。
その言い方に腹が立った。そんなわけないと突っぱねたいのに。
でも、ぼくはゆるゆると首を振る。御剣の裸の胸に自分の手の平をついて、まるで子供のようにこうねだった。

「動けよ……」

みっともない。
自分の情けなさに本気で泣きたくなった。
どうしていつも対等でいたいと思うのに、ぼくときたらこんな風になってしまうのか。
御剣は無言でぼくの弱々しい命令を受け取った。
さっきまで浮かべていたいやらしい笑みも消え失せてしまっていた。このままだと萎えてしまうのも時間の問題だ。
でも、上手く動けないからぼくはどうしようもなくてそのまま様子を窺った。
ああ、ほんと情けない。
その時、御剣がおもむろに上半身を起こした。中で御剣の角度が変わり、微かに身体が震えた。
御剣は無表情でぼくに向かい合い、背中に手を回して抱き寄せる。そして耳元でこう囁いてきた。

「今のは、よかったぞ」









御剣のスイッチがよくわからない。

「オレはおめーの言ってることがよくわかんねぇよ」

残り少なくなったビールを一気に飲み干し、矢張はそう言った。ぼくがそれに返事をしようと口を開く。けれど。

「あ、おねーさん、生おかわりな」
「聞けよ、矢張!」

全く話を聞く様子のない矢張に声を張り上げると、相手はへらりと笑い謝罪のつもりかひらひらと手の平を揺らした。
ムッとしたけど、まあいいやと結論づけて言いたいことだけを吐き出す。

「スイッチっていうのは物のたとえで、えーと、ぼくが言いたいのはどういうのが好きなのかってことでどういうところにぐっときたりするのかとかそういう……」
「おお、スイッチな、スイッチ」

アルコールのせいでろれつが回らず、しかも要点の得ない説明にもかかわらず矢張はうんうんと頷いた。
さすが恋愛の達人だ。
酔っ払ったぼくは大真面目にそう思った。コイツに相談してよかった、と素面の時なら絶対に思わないことを本気で思いつつ。

「あるよなーこう、キュンとくる時って」

店員から渡された新しいジョッキを矢張に回しながらぼくもまたうんうんと頷いた。
矢張はそれを受け取り、口をつけようとしてふと真顔に戻った。そして、ぼくの方を見て首を捻る。

「それはわかるけど、なんでまた御剣のなんだ?」
「いやいやいや、御剣の彼女とか想像つかないからさ!どんな感じなのか気になって」

ぶるぶると首を振って言い訳をした。

矢張、ぼく、御剣。
小学生の時の同級生で、一応今でも付き合いがある三人だから御剣の名前が出てくるのも不思議ではない。
だからぼくはこうして矢張を呼び出し、御剣の話をしているのだ。
でもさすがに付き合っているなんてことは言えない。


「んなのわかるわけねーだろ。本人に聞けよ」
「聞けないからお前に聞いてるんだよ」

矢張にしては真っ当な返答だったけれど、ぼくはそれをムッとして言い返した。
本人に聞けばいいなんてそんなことはわかってる。でも御剣本人は今この場にいない。
誘ったのに仕事だと冷たく断られてしまった。
いや、仕事を優先するのは当然のことなんだけど。

「仕事仕事って、いっつも断られるからさ。会いたいとかこっちは思うのに……」
「んぁ?成歩堂がか?御剣に会いてぇの?」
「いやいやいや!彼女が、そう思わないのかなって」

こんな風に誤魔化しつつ矢張に相談するなんて、馬鹿なことをしてしまうほどぼくは御剣のことを気に掛けているのに。
側にあったジョッキを手に取り残っていたビールを飲む。ぬるくなった液体は苦味だけがきつくてまずくて、何故か急激に自分が惨めに思えた。

御剣に断られるのは今日が初めてではない。何度か仕事終わりに会えないかと誘うものの、半分は断られてしまう。奴が扱う事件によっては二・三週間会えないのもよくあることだ。
ぼくだってそれなりに忙しいから時間が会わないのもしょうがないとは思う。
けど、こんなことが続くと女々しくも、聞いてみたくなってしまう。

なぁ、御剣。ぼくの、どこがいいの?

男と、しかも親友と付き合うなんて初めてだから何が御剣の好みなのかがわからない。
女の子の仕草で可愛いと思うものを自分がやってみたって気持ち悪いだけだ。
セックスの時だって、男同士でどう喘いでどう反応するのがいいのかがよくわからない。
この前だって、突然よかったとか言われてよくわからないうちに盛り上がって終わらされた。
いや、ぼくがよくなかったとかそういうわけじゃないけど一体、何が奴の心に触れたんだろう?

ちらりと視線を下方向に走らせた。
左手のすぐ横に置いた携帯電話。仕事が終わって御剣がかけてくるかもなんて、そんな期待。
案の定というか、それは沈黙を守っている。鳴る気配なんてない。仕事に没頭しているのだろう。
考えるまでもなくそんなことは予想がつく。

誰でもいいから、誰かぼくに御剣のスイッチを教えてほしい。
どうしたらぼくみたいに夢中になってくれるんだろう。

会いたい。好き。そう思うのは男同士でも変わらないのに。

考えれば考えるほど自分が空回りしていて、情けないのがわかって悲しくなってくる。

黙ってしまったぼくに矢張は目を数回瞬きさせた。次に大声でわめきだす。

「何だよ成歩堂!俺の話も聞けよ!ヌリビルゲちゃんとの愛の軌跡を!」
「今そういう気分じゃないから」

御剣の代わりに矢張を呼び出したのだけど、やっぱり代わりになるわけがない。
そんなひどいことを考えつつぼくは矢張を軽くあしらう。
矢張は拳を身体の前で作り、額に筋を作り出してかんしゃくを起した。

「ムシすんなよ成歩堂ぉ!そんなに言うんなら御剣呼び出したらいいじゃねえか!」

そうして矢張はわぁわぁわめきつつ、テーブルの隅に置いてあったぼくの携帯電話を掴み上げた。
取り上げる隙もなく勝手にボタンを押して会話を始めた。

「おーおー御剣かぁ?ナニやってんだよぉおめぇはよぉ!成歩堂のことほったらかしにしやがって!」
「や、矢張!」

慌てたのはぼくだ。
矢張の手から携帯電話を何とか奪い取り、自分の耳をそこにつける。

「御剣?」
『……成歩堂か?』

聞こえてきた御剣の声に、口元がへらりと緩む前に。
御剣の怒号が耳に飛び込んできた。

『何なのだ、あいつは!仕事中だと言っているだろう!』
「ごめんごめん、矢張の奴すっかり酔ってるみたいだ」

全部の責任を矢張に押し付けてぼくは笑った。
相手は怒っているけど、それでも声を聞けたことが嬉しかったのだ。

『切るぞ』

でも、何かを会話することも無くあっさりと退かれて、慌てて通話を終わらせようとする相手に言葉を投げつけた。

「仕事」
『ム?』
「仕事、まだ終わらないのか?御剣も終わったら来いよ」

逸る気持ちを相手に悟られないように少しだけ口調を落ち着けて、ぼくは電話の向こう側にいる相手に説得を開始した。
御剣も断ったことを少しでも申し訳ないと思っているのか、声を落としてそれに答える。

『うム……まだもう少し掛かりそうなのだ』
「矢張の彼女の話、面白いよ。ヌリビルゲちゃん。名前からして興味わかない?」

短い沈黙。呆れているのか興味をそそられたのか。
ぼくは無理矢理後者だと結論付けて、次の誘い文句を探す。ふらふらと視線を泳がした先に見つけたのはメニューだった。
店員オススメ!と書いてある文字を目で追いつつ相手にもそれを伝える。

「オススメの北海道味覚フェアだって。食いたくない?」
『……仕事だ』

御剣はつれない返事を短くした。
他に御剣の興味をそそるもの。何かないかな。まるでおもちゃで子供の気を引いているような気分になってくる。
退くに退けなくなったぼくはもう一度、改めて誘う。

「御剣、来いよ」
『仕事だと言っているだろう。切るぞ』

取り付く島もない、とはこういうことなんだろう。御剣の声も苛々してきてる。
早く謝って電話を切らないと。

『成歩堂』
「やだ。切るなよ」

そう思うのに、ぼくは気持ちに蓋ができない。ひどいわがままが口をついた。
一度、君に向けた欲望をまた自分で飲み込むなんて、できないんだ。
思わず呟きが漏れた。もはや相手を誘う言葉じゃない。
心の底から、いや、心の全部で思う言葉をたった一言。

会いたいんだ。御剣。頼むから、ぼくに。

「会えよー…」

ぷつりと短い音が返事だった。
切られた。
その事実に呆然とした後、徐々に淋しさと惨めさが込み上げてくる。
きっと酔っ払いのたわ言だと思われたのだろう。付き合いきれないと思って電話を切ったのだろう。
仕事の邪魔をされて、怒ったのだろう。
わかってはいるけれど。

「なるほどぉぉ!何俺を無視して電話なんかしてんだよぉ!」

また携帯電話を矢張に奪われてしまった。でもそれを取り返す気力もなかった。
矢張の手の中の携帯電話は微動だにしない。掛けなおしてもこない。

「御剣にとってオマエはただのオモチャだったんだよ!気にするなよ成歩堂よぉ」

矢張の冗談で本気で傷付く自分が悲しかった。
でも、それを否定する元気もなかったぼくは残っていたビールを全て飲み干す。
相変わらず苦くてぬるくてただまずいだけのそれは、まるで今の自分の暗い感情をそのまま液体にして飲み込んだようだった。







割り勘にしたつもりが酔いすぎて合ってるかどうかわからない。
たぶん、全然合ってないんだと思う。
千円札が三枚。矢張から受け取ったそれと、反対方向へと歩いていくひょろ長い背中をぼくはぼけっとしたまま見送った。
あれから飲んで飲んで、ついに閉店まで居座ってしまった。
電車も動いていない時間帯に一人道に佇んで、情けなさが身にしみる。
矢張は彼女の家に行くらしい。ヌリビルゲちゃん……って、日本にいるのか。
話の真否はともかく、誰かがいてくれるというのは今のぼくにとって羨ましすぎる状況だった。
タクシーでも捕まえなければ帰れない。このまま立っていてもしょうがないから仕方なく歩き出した。

居酒屋から五歩くらい進んだところで、夜道にひとつの足音が鳴っていることに気がついた。
近付く内にそれは大きくなり、そして激しくなる。
どこかに向かって慌てて走っているような。余裕がないような、そんな足音。

「成歩堂!」

しんとしていた夜道に自分の名前がはっきりと響いてぼくは飛び上がった。
素早く振り返ると、息を切らした御剣が目の前に到着したところだった。
突然現れた御剣にも驚いたけれど、いつもとは違うその様子にも驚いた。
襟元のひらひらが走った時の風のせいかくちゃくちゃになってる。
髪の毛がぼさぼさになっている。
額に汗を浮かべている。

「ど、どうしたんだ?」
「どう、し、た、だと?」

ぜいぜいと喉を鳴らして声と息を交互に吐き出す御剣は、両膝に両手をついて俯いたままだ。
意外と体力がないのか、それともとても長い距離を走ってきたのか。
そもそもなんで走ってここに来たのか。

全てがわからなくてぼくは、目を何度も瞬きさせて相手を見守った。

「君が……呼んだ、のだろう」

たどたどしくも御剣はそう言い返してきた。
呼んだ、呼んだけど。
酒を飲んだ頭でぐるぐると考えてみる。御剣と交わした、情けなくて悲しい電話でのやりとりを。
色々と気を引くものを会話に登場させて、御剣を誘い出そうとしたことを。
まさか、だからこうしてここに来たっていうのか?
結論を出したもののにわかには信じられず、ぼくは俯いたままいまだ息を整える御剣を凝視した。
恐る恐る尋ねてみる。

「矢張の彼女の話が聞きたかったのか?」
「違う」
「……北海道味覚フェア?」
「何だそれは」

聞いてみても短い言葉で切り捨てられていく。
状況が見えなくて、ぼくは思わず本音で呟いてしまった。

「なんだかわかんないよ」
「とぼけるな!私にあんなことを言っておいて、わからないだと?」

それを聞いた御剣がやっと顔を上げた。
ぼくを睨みつけた後、肩で息をした御剣は首を勢いよく左右に振る。誰もいないことを確認すると呆然とするぼくの肩をかしっと掴んだ。
そのまま引き寄せられ、首の後ろ、顎を順々に掴まれる。
遠慮のない強い力と逃れられない格好に驚き瞬きをする前に、唇全体を乱暴に覆われる。
御剣の唇によって。

「!!」

目を白黒させて暴れるぼくをさらに強い力で抱え込み、御剣は口付けを続行させた。
噛み付かれるような、まるで猛獣に襲われているようだった。息も、舌も、唾液も全部吸い取られる。
息苦しさをぼくの息で補っているようにも思える、激しい激しい口付け。

「〜〜っっ!」

さすがに呼吸が続かない。
思い切り突き飛ばした頃にはぼくの息もまた上がっていた。

「何するんだよ!」
───君があんなことを言うから私は、仕事を終わらせてすぐに走ってきたのだぞ」

酸素不足が多少落ち着いた御剣は、でも相変わらず怒っている目でぼくを睨みつけた。
あんなこと。言われてふと思い出す。
あんなこと。ぼくが御剣に言ったこと。

『会えよ』

その簡単な一言が御剣のスイッチを入れた?

わかった途端、カーッと頭に血が昇る。いい年して甘えた自分が恥ずかしかった。
でもそれよりも、何よりも。
御剣がぼくの一言でここに来てくれたことが嬉しくて堪らなかった。

「電話、すればよかったのに」
「出なかっただろう」

そういえば携帯電話はあの後、脱いだジャケットの胸ポケットに突っ込んだままだ。

「何も、走ってこなくても」
「途中まではタクシーに乗っていたのだが、事故渋滞で動かなくなったのだ」

そんなことして、間に合わなかったらどうするつもりだったんだろう。
嬉しいのに相手の行動に突込みばかり入れてしまう。
またひとつ突っ込もうとしたぼくを遮って、御剣が先に吠えた。

「君に会いに来て何が悪いのだ!」

そんな一言を先に言われてしまえば、ぼくはもう何も言えなくなる。
据わった目でこちらを睨み付ける御剣の顔は恐ろしいけど、すごく嬉しい。どうしよう。
心臓が自分の中で暴れている。歓喜に飛び跳ねている。
ぼくは御剣の唇にキスすることでそれを静めた。
今度はゆっくりで穏やかな、互いの温度を教えるように丁寧なキス。

誰でもいいから、誰かぼくに御剣のスイッチを教えてほしい。
さっきまでそう思っていた。でも、わかってしまった。

御剣のスイッチを入れるのはぼく自身なんだ。
ぼくのスイッチを入れるのも御剣なのだから。

唇だけだったキスが、舌も絡もうとこちらに伸ばされたのを感じた。
背中に回る御剣の手がぼくの腰の辺りを撫でる。
そこでぼくはぱっと目を開き、叫んだ。

「待った!」

御剣の手がぴたりと止まる。
中断されたことで機嫌を損ねたのか、間近な位置から睨んでくる御剣にぼくは少し笑う。
そして、彼の耳元に自分の唇を寄せて甘く囁く。

「続きは、君の家で」

スイッチを入れるのがぼく自身なら、ブレーキをかけるのもぼくの役目。




 

 

 

 

 

 

 

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乙女成歩堂でした。
付き合ってすぐに受けになるんではなく、
男同士ならどうしたらいいのか葛藤するだろうと思って。
御剣スイッチはそんな不慣れななるほどくんの姿なのですが、
本人は気付かずみたいな。


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