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 コーラル



全ては悪夢にすぎなかったと。
その一言で私の十五年間の苦悩は結末を迎えた。
しかし、未だに頭痛が消えない。


目の前にある巨大な扉を見つめる。
どこにでもある見慣れたそれは、私が何よりも恐れを抱くもの。
あの時から私の身体は成長し、そこまで圧倒されるほど大きいものではないのだろう。……けれども。
私は息を吐き出し、まぶたを下方へと落とす。

目を閉じれば思考は簡単に過去へと遡る。
酸素が徐々に失われていく狭い空間。暗闇の中で感じるのは殺気立った空気。
何か言えば、そして少しでも動けばそのまま殺されてしまうかもしれないような、他人に対する言い様のない恐怖。
あんなに大好きだった父親ですらただひたすら怖くて恐ろしかった。
永遠に助けがこないと思ってしまうほどに深く隔絶された闇。
苛立ちから他人を憎む、負の感情を剥き出しにした醜い言い争い。夢中で手に取った銃の重み。
そして。
全てを壊してしまうかのような衝撃と叫び声。

ずきりと鈍い痛みを頭部に感じた。
しかしそれは真新しいものではない。もうすでに、慣れた痛みだ。
あの日──父親を亡くしたあの日から。
私は常に頭痛を感じていた。それは法廷に立っている時でも、勉学に勤しんでいる時でも食事をしている時でも、
そして眠りに落ちる寸前まで。激しい頭痛は常に私に付きまとい、逆に無痛の時の方が珍しく感じた。
いや、無痛の時など一度もなかったのかもしれない。
長かった事件の決着がつき、父親を殺した真犯人が逮捕された今でも。
頭痛は決して消えることがなかった。

「……御剣?」

ふいに名前を呼ばれ我に返った。
俯かせていた顔を上げると青色が視界に映った。痛みにぼやける目を凝らし、その人影を私は見つめた。
成歩堂は眉を歪め、エレベーターの前に立ち尽くしていた私を見つめ返す。
検察官の私と法廷で対面する弁護士。そして、私を救い出してくれた大切な友人。
私に向けられたその瞳には哀れみの様な気遣わしげな色が浮かんでいて。
真っ直ぐに私を見つめつつ彼は口を開いた。

「どうかしたのか?そろそろ行かないと遅れるぞ」
「いや」

短く答え、私は爪先を扉から離す。そして長い廊下を歩き始めた。その後に続く成歩堂の気配。
時計の針はもうすぐ開廷時間を指し示そうとしていた。
しかし私は、担当の検察官であるのに歩くスピードを速めようとしなかった。
──法廷に向かう足が重い。頭が痛い、気分が悪い。
私は激しく続く頭痛の存在を払拭するかのように、彼に向かって軽口を叩き始めた。

「君はこんな所で油を売っていていいのか?さすが噂の逆転弁護士だな」
「何言ってるんだよ。天才検事には敵わないよ」

成歩堂は私に調子を合わせてくる。彼がほっとしたように少し笑ったのがわかった。
その時また、頭が激しく痛む。

「……君は嫌味がうまいな」

足を止めて彼を振り返る。突然言われた言葉に成歩堂は目を丸くした。
私はほぼ無意識に微笑んでいるようだった。私の言葉とその笑みに真意を捉え損ねた成歩堂が口を開く前に。
笑みを頬に湛えたままこう言い放つ。

「君に二度も敗北した私が、無敗の天才検事と呼ばれるはずがないだろう?」

その言葉に成歩堂の表情は一瞬で凍りついた。
私は彼の表情を見てようやく自分の言った言葉に気が付いた。成歩堂は瞳を私から外し、少し苦しげに呟く。

「ごめん。……そういうつもりはなかったんだ」
「いや、すまない。私こそ言いすぎた」

自分も目を逸らして謝罪する。
幼い頃の級友という立場を検事と弁護士という立場に変え、私たちは十五年振りに再会した。
何度も拒絶する私を成歩堂は辛抱強く追い求め、そして彼は見事に私の悪夢を打破してみせたのだった。
成歩堂はいつも正しくて真っ直ぐで清い。その存在は私を闇から救い出し、光のもとへと導く。
あの瞬間、私は。
全てが開けるのだと思い込んでいた。
永遠に続くと思われた悪夢が消えたのだ。
これから自分の進む道も彼のものと同様に、光に満ち溢れているのだと。
しかしそれは間違いであって───

「御剣?」

またぼんやりと考え込んでしまっていた私を成歩堂が覗き込んでいた。
そしてどこか不安げな表情で問い掛けてくる。

「これからの裁判………大丈夫か?」

戸惑いがちに尋ねられた言葉に私は鋭い視線を返す。

「私は私の仕事をするだけだ。被告人全てを有罪に」

そして、いつも繰り返していた自分のルールを口にしようとした瞬間に。
激しく頭痛がした。

父親を奪った罪を憎め、犯罪そのものを許すなと何年間もの間刷り込まれていた。
憎むべき罪を犯した被告人を全て有罪に導けと。
しかし現実はその教えを説いていた人間が罪を犯したのだ。
私が憎むものは───何なのだ?

一度目を閉じ、息を吐き出した。見失っている。
落ち着かせるように深呼吸をした後、再度目を開いた。成歩堂が無言のままこちらを見ていた。
瞬間、激しい感情が自分の中を駆け巡る。

頭痛が、恐怖が、治まらない。
怖い。 ただ、怖い。恐ろしい。

「御剣……!?」

成歩堂の腕を掴み、個室トイレの狭い密室に自分もろとも彼を押し込む。
わけがわからず眉を寄せる成歩堂の青いスーツの肩に手を置き、無理に膝立ちにさせた。

「何するんだよ」

憮然とした表情で成歩堂は私を見上げて睨んだ。その頭に片手を触れさせてそっと髪を撫でた。
さらさらと指の間を髪が通り抜ける感触。それをしばらく無言で楽しんでいると成歩堂はわずかに身じろぐ。
私の行動の意図がわからず、困惑しているのだろう。
私は口元を微笑みで緩めた。そして穏やかな口調で彼にこう告げた。

「舐めてくれ」

私の突然の命令に成歩堂の瞳が大きくなる。眉根を寄せ口を開く。

「そんなの、できるわけ…」

いいから早く。 私は言葉にせず視線だけで彼にそう命令する。
それを受け取った成歩堂が微かに息を飲んだ。瞳に浮かぶ怯えの色。

「御剣、なん……」

成歩堂が口を開き、再度問い掛けた時。
扉を一枚隔てた向こう側に他人の気配が感じられた。確かに響く足音に成歩堂の表情が不安に翳る。
狼狽し、縋るように私を見上げたその頬に手を添えて。
自分の衣服を片手でずらした後。

「んッ」

見つけたわずかな隙に私は自身を挿入する。その行動に成歩堂の目が大きく見開かれた。
その瞳を上げ、疑問の意を投げかけてくる。しかし私は腰を引かなかった。
彼の内を目指して己の欲望を突き立てる。成歩堂はそれを首を振って嫌がり身を引こうとする。
けれども膝立ちにされているためそれはままならない。
仰け反るように背中が斜めになり、彼の後頭部は後方の壁へと押し付けられてしまった。

「……う、…っ」

感じる微かな痛み。しがみ付く様に、咎める様にして成歩堂の手が私の太腿を掴んでいた。
赤い布が無様に歪む様子を私は無表情で見つめる。息苦しさに潤む瞳がそれをじっと睨みつけていた。

「……ん、んぅ…」

成歩堂は私自身を頬張ったまま何か非難の声を上げようとしているようだった。指先に力がこもる。
暴れてでも逃れればいいのに、トイレの個室といういつ誰が来るかもわからない場所ではそれすらできないらしい。
私は薄っすらと笑みを浮かべる。

──そのまま続けろ」

外に聞こえぬよう声を潜めてそう命令する。
懇願するような視線を無視して私は腰をゆっくりと動かし始めた。
指を差し入れて梳くようにして髪を撫でる。最初は優しく、反応を見るために。
柔らかな粘膜に包まれてそれは次第に硬度を増していき、成歩堂の口内を圧迫し始める。
扉の向こうにあった他人の存在はいつの間にか消え去っていた。

「ん、んっ……ん」

観念したように両目を固く閉じると、成歩堂は私の動きに合わせて舌を動かし始めた。
唇と棒の隙間から小さな声を漏らしながら。頬が赤く染まり始め、唾液が顎を伝って幾筋も落ちていく。
根元まで含ませた後、ゆっくりと身体を引いてまた吐き出させて。
その度に成歩堂の口内の肉が私を擦りあげ、その感触に背筋がぞっと震える。
狭い場所に繰り返し自分を捻りこんでは引いて、快感を貪る。
慣れない様子で成歩堂は懸命に舌を這わせていた。時々上目遣いで私の様子を窺う。

「は、ぁ……」

目を閉じたまま成歩堂は顎を上に向けると、私のものから口を離し弱々しく息を吐き出した。
夢中で咥えていた為に呼吸が苦しくなってしまったのだろう。固く目を閉ざし、はぁはぁと息を継ぐ。
その彼の顔に指先で触れる。

「みつるぎ……?」

触れた感触に成歩堂はやっと目を開いた。そして小さな声で私を呼ぶ。
その瞳は、この狂った状況の中でも輝きを失うことなく私を捕らえていた。
見つめる内に湧き上がる言い様のない不安と憎しみと悲しみ。

怖い、何もかもが。
恐ろしい。頭痛が治まらないのだ。ずっと、ずっと。

両手で成歩堂の顔を包み込む。───迷いや不安は無駄なものではないと、君に教えてもらったのに。
それを手に入れた私は何もできなくなってしまった。私は私ではなくなってしまった。
息を吸い込む。そして彼に縋るように問い掛けた。

「……君は、私を救ってくれるのだろう?」
「なに……」

驚きに目を開いた彼の顔から手を離して尖った後頭部へと回す。
わずかに見える唇の隙間を狙って再度腰を押し出した。
突然の事に成歩堂は両手を暴れさせて私の腿を叩いた。

───ッ!!」

その彼の尖った後頭部を乱暴に鷲掴み。痛みに歪む彼の顔を見下ろして冷然と告げる。

「やめるな。もっとちゃんとしろ」
「……ッ!んん、…っ」

私と目が合うと成歩堂の瞳が恐怖に揺れた。
しかしそれは一瞬のことだけで彼の瞳はすぐさま光を取り戻した。
怒りを持った双眸にきつく強く睨まれ、罪悪感よりもなぜが加虐心が煽られる。
吐き出そうと喉仏を揺らす成歩堂の後頭部を押さえ込んだ。

「…んぅっ!」

その中に思い切り己の欲望を突き立てる。
そして咳き込む間も与えずに腰を乱暴に揺らし始めた。

「歯を立てるな……成歩堂」
「んっ、ん、ぐっ、…んんっ」

小刻みに零れる成歩堂の声。目じりに生まれた水滴が細い線となって頬を落ちていった。
私は自分の腰を揺り動かすのと同時に掴んだ彼の頭部も揺らし始めた。
反動と勢いで喉奥にまで欲望が達し、容赦なく突かれた痛みで成歩堂の顔がさらに歪む。
しかし私は動きを止めない。奥の奥まで捻じ込んで彼を揺すって。
あんなにも神聖なものと崇めていたこの法廷で、弁護士にこんなことをさせて。
わずかに残る理性が私を責める。しかしその背徳感は私の興奮をさらに高める働きをした。
感情が、体内が湧き上がる。
思い切り髪を掴み、自分の身から成歩堂を引き離す。次の瞬間、先端から激しく弾ける体液。

「あッ……!」

成歩堂は咄嗟に目を瞑った。
その方向に向けて私は自分の精液を余すことなく彼の顔へと降り掛けた。
しかめられた眉に、閉じたまぶたに、細かに揺れるまつ毛に、汗のしずくを付属させた頬に。
ぽつぽつと静かに白い足跡が刻まれていく。

「あ、あ……っ」

目を閉じて膝立ちの状態の成歩堂に、濃く白い液体が断続的に襲い掛かる。
生温いねっとりとしたものが頬を滑り落ちていき、皮膚を刺激されたのだろうか。成歩堂はとても小さな声で鳴いた。
濡れた唇に白い雫がかかり、また水滴となって滴り落ちていく。その様子がなぜかとてもゆっくりに見える。
私は姿勢を固定させたまま視線だけ落とした。
顎を伝い、呼吸と共に上下する成歩堂の喉を下方に走る白濁液。
彼の青いスーツにもそれはかかり、点々と染みを作り出していた。

────

言葉は声にならなかった。
視線を止めたその先にあったのは、とても小さなもの。
小さく、けれども何よりも輝き、そして私がどうしても手に入れることのできないもの。
成歩堂の胸元に掲げられていた弁護士バッジは、私の吐き出した精液によって白く汚されていた。

(ああ、やはり───

声にならない代わりに、私は心の中でだけ呟く。

私はもう汚れてしまったのだ。
あんなにも欲しがっていた弁護士の象徴を、己の精液で汚すまでに私は。
弁護士を、父を、幼い頃を知る旧友を。
大切なもの全てを殺したのだ。
私と、私のこの手が。

「……あ、……ああ……っ」

他人の精液に姿を汚されて、息苦しそうに成歩堂は声を漏らした。私はその様子を無言のまま見守る。
どうして一瞬でも思ったのだろう?彼と自分が同じ道、方向に行けるなどと。
そんなはずがないのに。
胸の底からこみ上げてくる何か。それは負の感情。嫌悪感、罪悪感、憎しみ、悲しみ。
それらは全て自分に向けられる。自分から生まれ自分に向かい、自分を責める苦しめる。
私は耐え切れず乾いた手のひらで口を押さえた。
駄目なのだ。

もう、何もかもが。

───つらい」

その声は涙と混じり、声にならない。俯くと頬を涙が流れ落ちる。
白い精液をかけられて喘ぐ成歩堂とバッジを見つめ、私は悟った。


自分に残されている道は死以外に考えられないのだと。

 






書くなら今のうちだよ!の1-4、その後話。9月には矛盾することうけあい。

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