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 「よく来たね」
 そう言って彼は微笑んだ。まるで自分の部屋に客人を招き入れたようなそんな顔で。
 その様子に勘違いしそうになった。彼はこの家の主でぼくは客で、彼に招待されぼくはこの場所を訪れたのだと。しかし、それは錯覚以外の何物ではないのだけれど。
 いや、この場所は彼にとって家と似たようなものなのかもしれない。地方警察局長であった男、巌徒海慈にとっては。刑務所という場所は彼の仕事において欠かすことのできない場所なのだから。
 彼が捕らわれ、ここに拘禁されたのは二ヶ月前のことだ。ぼくが担当した裁判で巌徒局長は過去に犯した隠蔽の罪と捜査官殺害の罪を問われることとなった。そして、そのまま罪は確定した。
「どうして……」
「ああ、あれ?」
 長い沈黙を破ったのはぼくの問い掛けだった。巌徒局長はにっこりと笑う。
 ぼくと巌徒局長は向かい合って座っていた。そしてその間には何の壁も仕切りもない。違和感と居心地の悪さの原因にぼくはようやく気付く。囚人と面会する時は透明の壁で仕切られているのが通常だ。おかしいに決まっている。異常な状況に気付くと同時に、そんな当たり前のことを失念するほど自分が動揺していたのだということにも気付かされた。
 ……ぼくは、この男を今でも恐れているのだろうか?
 犯罪者という立場に身を落とした今でも、巌徒局長の威厳は決して損なわれることなく存在していた。この刑務所という中でもかつての権力を揮っているのだろう。権力は人と人との間に生まれるものだ。例え罪を犯しても、彼は絶対的な命令力を持つことができる。
 ぼくの発した中途半端な問い掛けに巌徒局長は口を開いた。
「あんなものがあったらナルホドちゃんに触れないでしょ?」
 黒い皮の感触が頬に触れる。ほぼ反射的にぼくはそれを振り払ってしまった。巌徒局長は驚きもせず、払われたその手を自分の前に運び組み合わせた。
「や。や。怒んないでよ。怖いなー」
 言葉とは異なる表情でとぼける様子も以前と全くかわりがない。ぼくは衝動的に席を立つ。ぼくだって暇ではないのだ。時間を割いてまでわざわざ不愉快になる必要もない。
 でも、ぼくの足はすぐに止まった。
「ミツルギちゃんがどうしていなくなったのか……ボクに聞きに来たんじゃないの?」
 彼の口から出た名前と言葉に思わず振り返る。巌徒局長は笑ってはいなかった。紫色のガラス越しに、緑の瞳を光らせてぼくをじっと見つめていた。
 そんな馬鹿な。
 乾いた笑いが奥から湧き上がった。わかるはずがない。どうして、この男が御剣の事をわかるというのだろう。そんな根拠なんてあるわけがない。そんなはずは。
「あなたには……わかるって言うんですか」
 でもぼくの唇から落ちたのは気持ちとはまるで正反対のものだった。すっと目を細めて巌徒局長は再び微笑む。そして低い声で答えた。
「教えてあげるよ。ナルホドちゃんいいこだから」
 黒い手袋がぼくを手招きする。そんなはずはない、と叫ぶ心とは裏腹にぼくはゆっくりと手招きされた方向へと歩み出した。


  「……ッ」
 声は言葉にならずに、噛み締めた歯の間から息だけが漏れた。苦しげに響いたそれに局長は全く興味を示さなかった。再度乱暴に扱かれてまた息が漏れた。彼の腕を掴んだ右手のひらに思い切り力をこめる。
 黒い皮に弱い部分の皮膚を何度も擦り上げられて痛い。手袋を外してくれたらいいのに。愛撫と呼ぶにはそれは雑すぎた気がした。けれどもぼくの身体はおかしいくらいに反応し、ぼくのそれは色のない液を零して与えられる刺激に震えていた。
「ミツルギちゃんはさぁ。多分ボクがここに入った時からもう考えてただろうね。遅すぎたくらいだよ」
「アァ…ッ!」
 言葉と共に自分の中に指を押し込まれて、激しい痛みが全身を駆け抜けた。入っている部分は指先の、ほんの少しの部分だろう。けれども狭い場所に無理矢理押し込まれた他人の一部分は、ぼくに焼け付くような痛みと言い様のない気持ちの悪さを与えた。手袋の感触が余計に痛い、余計に気持ち悪い。もうやめてほしい。痺れる様な痛みに自分の足が支えられなくなる。入っているのとはまた別の指が動いて、固くすぼまって他人を拒むぼくの入り口を何度も撫で上げた。
 小さく何度も息を吸い込んで声を作り出す。言われた言葉に対する疑問を。
「そ、んなのっ……」
「わからなかったの?おかしいなぁ」
 キミたち、仲良かったんじゃないの?とからかう口調にかっと血が上った。でも何かをする余裕なんてない。床に組み敷かれ、指を差し込まれた状態でわずかに身じろぐぼくの様子を巌徒局長は悠然と見下ろした。蔑む視線に全身をいたぶられ、ぼくは唇を死ぬほど強く噛む。
 突然足首を掴まれ、そのまま大きく開かされた。膝の後ろへと移動した手がぼくの抵抗を無視してさらに力が込められる。巌徒局長はぼくの腰に体重を乗せて、全身でぼくに覆い被さる格好となった。
「!!」
 激痛に声が出なかった。何が自分に起こっているのか、それを確かめることもできない。巌徒局長の吐息が頬に当たる。動かせない両足。動けない身体。
「……キツイなぁ。力抜いて、ナルホドちゃん」
 耳元で囁かれてぼくはひっと喉を鳴らした。言われた通りの事ができたとは思えない。響く声の近さと焼け付く痛みにぼくは今の状況を理解した。熱い太い杭が自分に突き刺されたのだと。でも、それがわかっても痛みは軽減しなかった。
 ぐっと押し込まれたものが収まる場所を探して少しずつ奥に動いていく。その度に裂かれる痛みが生まれて、ぼくは歯を食いしばってそれに耐えた。
「ミツルギちゃんがキミを疎む気持ちもわかるよ。だってミツルギちゃんはぼくと同じ種類の人間だからね。呆れるほどに正義感の強い男だよ」
 唇で軽くついばむ様にぼくの肌を刺激しつつ、巌徒局長は囁いた。ぼくの中に一部を挿入したまま。細かい内出血の痛みに首を振って嫌だと意思表示をする。そしてさらに、可能な限りに反抗の意を込め相手を睨む。
 あなたと一緒にしないでください。
 御剣は、違う、そんな人間じゃない。
「あれ?もしかしてナルホドちゃん、ミツルギちゃんが検事になったのは狩魔検事にそそのかされたせいとか思っちゃってる?」
 巌徒局長は一瞬だけ意外そうな表情を作る。紫の眼鏡を少しずらし、目を丸くしてぼくを見つめた。
「…ンン…ッ!」
 それに答えようとしたけれど、できなかった。ゆったりとした動きで局長が腰を回したからだ。濡れた音を立てながら中の壁を擦っていく。深く入り込んだそれに様々な角度から犯されてぼくは背を仰け反らせる。思考は言葉を追おうと必死なのに、身体が全くついてこない。
 巌徒局長はふと動きを止めた。浮かべていた穏やかな笑みを取り払い緑色の瞳でぼくを見返す。ぼくは思わず、息をつめてその視線を受け止めた。止まる時間。動かない二人。それは一瞬なのに、まるで永遠のような。
 圧倒される。ぼくに生まれる、強大な恐怖。そしてそれに飲み込まれていく。
「それは違うよ」
 ぼくが完全に言葉を失ったのを見て巌徒局長は口を開いた。
「ミツルギちゃんは誰に命令されていたわけじゃない、自分でその道を選んだんだよ」
 低い声でぼくを諭すように囁く。と、同時に腰の動きを再開させた。思い出したように激しく、強く。
「う、ぁ……ッ…!」
 叩きつけられるそれと重く圧し掛かる身体と、そして心臓に直接触られるような声と言葉と。自分の前に置かれた、そして自分を犯すもの全てに恐怖を感じたぼくは思わず悲鳴を上げた。
「罪を犯したのはミツルギちゃん自身なんだよ」
「あっ、あ、ッ、んんっ…!痛ッ…!」
 局長の静かな声にぼくの悲鳴が重なる。投げ出された両腕が持ち上がり、許しを請うように巌徒局長の腕を掴んだ。もうすでに限界まで奥に押し込まれているのにもかかわらず、巌徒局長は少しも退こうとしない。腰を素早く引いては勢いよく押し出す。もっと奥に、もっと深く繋がろうと。
 全身を切り裂かれそうな痛みにぼくは意識を飛ばし掛けた。その時、何の脈絡もなく急激に律動が静まった。促され、水面に浮上するようにぼくの意識も覚醒する。
「でもさぁ」
 額に汗で張り付いていた髪を指でゆっくりと掬いながら巌徒局長は囁いた。柔らかく、優しい声。その仕草にぼくの強張りは一瞬だけ解ける。そっと頬を撫でる手のひらの温度に呼ばれた気がして、ぼくは顔を彼の方へと向けた。綺麗な緑色の瞳がそこにあった。間近で見るそれは驚くくらいに澄んでいて濁りがなかった。緑の双眸はそのままに局長の唇が動く。動いて、言葉を作り出す。
「死を選ばしちゃったのはナルホドちゃんかもね」
 投げつけられた言葉に、解けかけていたぼくの思考は一瞬で硬化する。局長の目は逸らされない。まるで被告となって追い詰められているような感覚にぼくは陥った。
「あーあ。ミツルギちゃんかわいそ。彼、ナイーブだからねえ」
 全く同情なんてしていない。軽い言葉だけで彼は御剣を哀れんだ。それでも局長の目はぼくに固定されたままだ。ぼくを全ての原因とするかのように、詰問するように。
「ナルホドちゃんもカワイイ顔してやるねぇ。助けるふりして追い詰めちゃうんだもんね」
 そう言って局長は笑った。唇の端を無理に持ち上げたようなその笑顔は簡単にぼくの心を打ち砕く。
 緑の瞳に壊されていく。身体も、心も、今まで自分が必死に守っていたものたちも。
 局長の言葉と現実を混ぜ合わせ、ぼくの頭はゆっくりと答えを導き出そうとした。自分が今まで御剣に対してしてきたこと。掛けた言葉。向けた視線。そして御剣の表情。御剣の意思。
 全てを掛け合わせた時、ぼくのなかでひとつの答えが出た。今まで、一人考えても考えてもわからなかった疑問が。瞬時に、全て解ける。

 御剣を、追い詰めて死を選ばせたのは。
 他の誰でもない。

 ぼくだ。

 「アッ、ぁ…!」
 何の予感もなく突然、ずぶずぶと挿入されてぼくは身体を固くさせた。身体をひっくり返されて、その上に局長が圧し掛かる。足首と腿を掴まれて、隠すところもなく全て曝け出されたぼくの身体に局長のものが根元まで埋め込まれていた。
 さっきまでは早く抜いてほしくて堪らなかったのに今はその熱がありがたかった。嬉しいとさえ感じた。こうして身体を犯されていれば、心の痛みを身体的痛みで誤魔化すことができるから。でも、局長はそれを許してはくれなかった。律動を時々止めては、ぼくの耳元で囁きを落としていった。
「ミツルギちゃんもカワイソウにね。友達に責められて追い詰められて」
「今頃どこで死んでるんだろうね?ナルホドちゃん心当たりないの?ま、あるわけないか」
 刃物のように容赦なく、そして言葉だけで簡単に、局長の言葉はぼくの心を切っていく。その場所から深い悲しみと悔恨が生まれて心が痛くて痛くて仕方がなかった。
「ちが……ちが…う」
 突き上げられながらもぼくはそう訴える。もう声を殺すとか、抵抗の意で彼の腕を掴むとか、きつく睨み付けるとか。そんな気力は残っていなかった。頬を流れる涙が乾いてもまた新たなものが溢れ出し、ぼくの頬を汚す。
「何?ちゃんと口に出して言ってごらん。そんな言い方じゃあわからないよ」
 髪を乱暴に掴まれる。そのまま後方に引っ張られ、息も言葉も詰まる。ぼくは首を振って否定する。どうしても否定したかった。例えそれが正解だったとしても、どうしても。
「ち、が……」
 剥き出しとなったぼくの喉に舌を這わせ、局長は呟いた。
「わからないと言っているんだよ」
 皮膚に当たる低いトーンの声。流れ続けている涙が線となって首筋にまで到達する。局長はそれを舐め取るようにじっとりと自分の舌でぼくの首を撫でた。そのまま移動して耳朶を軽く食む。その間にぼくは緩やかに突かれていた。
「……お仕置きするしかないかなぁ。ボク、そういうのあまり好きじゃないんだけど」
 散々、ぼくの耳朶を舐め回して弄んだ後に局長はそう囁いてきた。吐く息が間近に響く。本能的な恐れを感じてぼくの身体はびくりと反応した。薄目で相手の顔を窺う。怖い。
「あ……」
 しかし、言葉とは逆に局長は身体を起こした。するすると相手のものが自分から去っていく。圧迫感から喪失感へと感覚がシフトする。繋がっていた二つの身体が分離した。高く持ち上げられていた両足がゆっくりとした動きで元に戻るのを、ぼくはまるで他人のもののように見ていた。
 中を荒らされた衝撃のせいか自分の身体はうまく動かなかった。短く浅く息を継いで力を取り戻す。涙で自分の視界が霞んでいた。霞んでいる世界の中で、巌徒局長がぼくを見つめているのが見えた。自分のネクタイを掴み首を少しだけ傾ける。
「ナルホドちゃんには口で言ってもわからないようだからさ」
 腕を掴まれて身体をひっくり返された。次に腰を掴まれて、後ろの部分を曝け出す格好となった。驚いて顔を上げようとすると、首の後ろに当てられた大きな手のひらにそれを遮られた。冷たい床に濡れた頬が擦れる。声を上げる間もなく後方から挿入された。
「痛っ──!」
 上がる悲鳴に今更手加減をされるはずもない。がんがんと繰り返される突き上げにぼくは床に爪を立てて堪える。目に見えないから余計に怖い。全身がこのまま押されて潰されてしまうのかもしれない。そんな恐怖に打ち震えながらもぼくは相手を受け入れていた。
 気がつくと新たな涙がまた頬を流れ落ちていた。その涙の原因が肉体的な痛みでもなく、同性に犯されている屈辱からでもないことを、ぼくは知っていた。自分ではなく他人に向けられた涙であることを、ぼくは知っていた。
 御剣。御剣、御剣。御剣、御剣。
 涙以外の他に何も出てこなかった。激しく犯されながらぼくは、御剣のことを考えていた。
 御剣は今頃どこで何をしているのだろう。
 もしかして、本当に死んでいるのかもしれない。

 御剣。

 そう呼んだのを最後に、ぼくは自分の意識を手放した。


 

 

 

 

 

 

 



話をするだけのになんで服を脱ぐの?っていうツッコミはスルー。
こう言っておいて、検事に失踪をそそのかしたのも実は局長だったら怖いなぁ、なんて思ったりして。
いやいや思うだけですが。

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