荒い息遣いが間近で響いてる。
鬱陶しく思って顔を背けようにもこの状態じゃ何もできない。耳を詰る湿った吐息から何とか逃れたくて首を横に振る。相手はそんなぼくの様子を見て何か勘違いしたらしい。奇妙な笑い声が息遣いに混じった。気持ちが悪い。
「アンタ……弁護士だったんだってな。今は見えねぇけど」
頬を撫でる指先。優しいというよりは何か値踏みをしているような気がした。両目を布で覆われているから見ることはできない。気分が悪くて身じろぐと、頭の上で拘束された両手首が痛んだ。
地上から深く底に落とされたこの小さな部屋で、繰り返し行われるゲーム。カードを使ってぼくは何人もの相手と渡り合ってきた。無敗のプレイヤーを倒そうと集まる物好きな客たち。その中でも、もっと物好きな客には時々こうして違うもので相手をすることがあった。
男は飽きるまで顔を撫でていた。ざりざりと髭の感触を楽しむように触れたかと思えば、頬を思い切り舐められた。唾液の臭いに胸がむかむかした。覆われている両目をきつく閉じる。
客の嗜好に付き合わされるのはあまり嬉しいことではない。何が悲しくてこんな風に縛られたまま抱かれなければならないのか。拘束されてるのは嫌で堪らなかったが、目隠しは悪くないと思った。相手の顔を見なくてすむ。
「昔、世話になったなぁ……役立たずのくずが多かったけどな」
一瞬だけ男の手が離れた。パーカーのファスナーが下ろされて、ゆっくりと肌蹴られていく。金属の擦れる音がどこか死刑台を連想させた。徐々に近付いてくる闇と絶望の世界。この次に訪れる屈辱の時をぼくは身動ぎもせずに待った。なぜならば、動いても無駄だということを最初から知っているからだ。
腕が拘束されているため、パーカーは完全に取り除くことができなかった。不完全な状態で腕に絡まるそれを無視して男の手は中に着ていたTシャツを捲し上げる。ちろちろと乳首を舐められて身体が跳ねた。くすぐったい。そんなぼくの反応に男はまたしても勘違いをした。今度は舌のざらつきを押し付けるようにして丹念に舐め始めた。そんなことをされてもくすぐったいだけなのに。顔を横に向け、肩を少し浮かせて歪んでしまう唇を隠した。男はさらに調子に乗る。子供のように吸い付いてきた。塗された唾液の中で舌に先端を弄られて、吸い上げられる。勘弁してほしい、と本気で思った。笑い出すのを堪えているのがわからないらしい。
しばらく胸を弄っていたかと思うと、男の手はまたぼくから離れた。服を脱ぐ衣擦れの音をぼくは横たわったまま聞いた。舐められていた部分だけが濡れていて、寒い。
ふいに体温が身体の上に被さってきた。ふっ、ふっ、という生温い息が首筋にかかる。かさつく唇が髭のある顎を、頬を滑り……ぬめったものが唇に押し当てられた。閉じたままの口を全て覆うようにして一気に舐め上げる。男の唾液が入ってこないよう、上唇と下唇を隙間のできないよう必死に閉じた。
その間に、男の手はぼくの股間をまさぐり始めた。柔らかい性器を痛いくらいに握られて思わず意識が逸れる。そこをすかさずつけこまれた。侵入してきた舌を押し戻すこともできず、ねっとりと絡め取られる感触にじっと耐えた。
舌と舌、肌と肌が密着し始める。男の手は性器を扱き、もう片方の手は平坦な胸を無意味に往復を繰り返し、舌はぼくの口内を無遠慮に犯す。舌、手のひら、皮膚。男の持つものは温かいけれど、とても冷たい何かを押し付けられているかのような錯覚に陥る。純粋に感じた気持ちの悪さから全身に鳥肌が立った。視界を失っていることで神経は普段よりも昂り、嘔吐感まで込み上げてくる。
「───早く、終わらせてほしいんだけど」
悪寒に耐え切れず要望が口をついた。ぴたりと男の動きが止まった。何かを逡巡する間。そして。
「入れてくださいって素直に言えねぇのかよ」
嘲笑う声。その言葉に反応を返す前に。
「くッ!」
乱暴に指を差し込まれて息が詰まった。狭い穴に突然突き立てられても馴染むわけもなく、鈍い痛みで目に涙が浮かんだ。覆われた布に吸い込まれ、それは誰の目にも届かない。
中に入っていた指が無理に下の方に動かされて、わずかにできた隙間にもう一本追加される。爪の先が中を掠って本気で痛い。男はお構いなしに二本の指を同時に奥へと捻りこんだ。けれどもそれは内部の肉の抵抗にあい、思ったよりも進まなかった。男はそれを不満に思ったのだろうか。素早く抜いたと思ったら一気にまた押し込まれる。激痛に思わず浮いてしまった腰を掴まれ、足首を捕らえられてしまう。今まで以上に身動きが取れなくなってしまい、唇を噛み締める。
しかし、男の指の動きは先程と違い余裕を持ったものだった。異物を吐き出そうとする壁をやんわりと押して、抵抗にあえば少し戻し、そしてまた徐々に進む。自分も痛いのは嫌だから、なるべく男の動きに合わせるようにして呼吸をする。
程なくして指がまた引き抜かれ、少しだけ強張りの解けてきたそこに何かが当てられた。指にしては持つ温度が高い。見ることはできなくてもほぼ反射的にそれが何かを理解した。覚悟をしていても本能が腰を引かせた。それを上回る強い力で抱え込まれて、両足を大きく開かされてしまう。
「う、……ぁっ」
ずぶずぶと埋め込まれる他人の一部。衝撃に思わず声が上がった。穿つ痛みは想像以上に鋭くて額に汗が浮かぶ。挿入されているこっちは痛くて堪らないのに、挿入している側はそんなことはお構いなしにぐいぐいと押し込んできた。殴ってしまおうかと拘束されたままの両手を何度も持ち上げるものの、こんなところで抵抗しても行為の時間が延びるだけだ。結局何もできずに下ろす。繋がれたままの身体を無理に折り曲げられた。そして、そのまま揺さぶられ始める。
一度挿入してしまうと男の意識は全て性器へと集められてしまうらしい。そこからこちらに対する愛撫は一度もなかった。
反動をつけて何度も何度も出し入れをされる。仰向けにされ、両腿を顔の横に並ぶまで押さえ込まれる。そのまま結合部分を相手に晒したまま揺さぶられる。情けなくひっくり返された状態で根元まで捻りこまれて、中をぐりぐりと抉られる。うつ伏せにされ、自分の身体を支えることすらできなくなるくらいに深く突かれる。男は目隠しと拘束に自由を奪われたぼくの身体を好きに操り、中に外に飽きるまで射精し続けた。
ぼくは何もしなかった。感じることも、抵抗することすら。早く終われと祈りながらも、好きに犯されるのをどこか他人事のように受け止めていた。
恐ろしくゆっくりと流れる時間だけが、恨めしかった。
後で見返すと、両手首は鬱血して痣になっていた。この位置ではパーカーの袖で隠しきれるかどうか微妙だった。舌打ちをして帽子を被ったままの頭を雑に掻いた。長時間責め立てられた身体もだるい。
それと同時にコンコン、とドアがノックされる。こんな場所でノックなんて滅多に聞かない。そんなことをわざわざするのは、きっと。
「いらっしゃい。今日は一人?」
よく来れたね、と優しく囁いてやる。開いたドアの前で立ち尽くす人影。どうぞ、と許可を与えてやってるのにそれでも躊躇している様子にいじらしさを感じた。後悔するくらいなら初めから来なければいいのに。自分でも迷うとわかっているのにこの部屋へと足を運んでしまうのは、彼がまだ若いからなのだろう。来訪者を前にぼくは微笑む。テーブルの上で頬杖を付いたまま。客を迎える態度ではないことを相手は気付いているのだろうか。そもそも客として自分が認識されていないことも。
赤い色を纏うその影は意を決したようにゆっくりと足を踏み入れた。真剣な瞳をこちらに向け、王泥喜法介は一言呟く。
「オレ……大丈夫です」
椅子を勧めてやってもやはり戸惑ってなかなか座ろうとしない。ぼくはこれ見よがしに溜息をつく。先程した行為の疲労が残存しているのか妙に気だるい。彼が眉を寄せてこちらを見た。
「腰が痛くてね」
袖口から覗く痣に気が付き、相手の顔が不自然に歪んだ。
「何で、ですか?無罪判決だけじゃ足りませんでしたか?」
怒ったような表情で問い掛けてくる。普段の生活でも皮肉や遠まわしの会話しかしなくなった自分に、正直な疑問をぶつけてくる相手は珍しくて、思わず口元に笑いが浮かんだ。それは決して相手を嘲る意図はなかったけれど。
「いずれ、わかるよ」
いつもの台詞と薄い笑いを返されて王泥喜君はむっとしたようだった。感情がよく動くのも、そしてそれがすぐに読めるのも彼の特徴のひとつだ。
「そう言ってはぐらかさないでください!」
バン、とテーブルが大きな音を立てた。法廷と違ってここにあるのは古いものだ。やめてほしいな、と呟いて立ったままの相手を見上げる。王泥喜君は光り輝く瞳でこちらを見下ろしていた。挑むような視線を向け、口を開く。
「……教えてください、成歩堂さん。あなたがなぜこのような場所にいなければならないのか」
それは問い掛けというよりは尋問のようだった。
この若く、真っ直ぐな気質を持つ新人弁護士を今日は少し厄介に思えた。まだ少しも色褪せていない金色のバッジが、堂々と彼の胸元を飾っていて嫌でも目に付く。皮肉を考えることすら面倒になってきてぼくは目を逸らして呟いた。
「───何で来たの。さっさと帰ってくれないかな」
憂鬱がストレートに出過ぎた。王泥喜君が微かに息を飲む音が部屋に響く。泥のような沈黙が部屋を包む。
このまま出て行ってくれれば、という淡い期待を抱いた時に、彼は名前通りの驚きの行動へと出た。
パーカーの襟元を掴まれた。思いのほか強い力だった。突然のことに思わず、行動を起こした相手を凝視する。
「会いたいから会いにきた。それじゃ駄目ですか」
淀みのない声。邪険に扱われ困惑していると思っていた瞳は間近で合わせてみれば、力強い炎をまといぼくを捕らえていた。中に炎が見える。炎が棲んでる。
一瞬だけ、激しくそれに動揺した。
長い年月をかけて自分が失ってきたもの。それを言葉にしようとするのは難しい。難しいけれど、目の前のこの若い弁護士を見ればわかる気がした。そこに全ての答えが並んでいる。
動揺の次にぼくを湧き立たせた感情はただひとつ。それはとても純粋な興味だった。王泥喜法介という人間に対する興味。
「……わかった。今日は君に付き合うよ」
「え」
そう言ったぼくを、王泥喜君はまじまじと見返した。今度はお返しとばかりに、彼のネクタイを掴んでこちら側へと引き寄せた。自分自身も腰を浮かせ、バランスを崩した彼へと唇を寄せる。
「成歩堂さん!?」
裏返る声。おかしくて笑うと喉が鳴った。
見上げると、明らかに動揺した大きな瞳がぼくを、それでも逸らすことなく見つめていた。ぼくは改めて目を閉じるともう一度彼の胸へと静かにキスをした。丸く輝く小さな弁護士バッジに。
「どう、したんですか……」
目を丸くしたまま固まる王泥喜君の手を促し、テーブルの上に座らせた。素直に従う身体のすぐ横に座り、吐息が耳朶にかかる位置でそっと囁く。
「君とは、他の客と違うゲームをしてみたいんだ。付き合ってくれるよね?」
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オドナルオドのつもりで書きました。オドナルオドのつもりで。(二回言う)
知らんオッサンが出張りすぎですが。この後はイケナイポーカーレッスンですよ!